漱雲会 廃刊
漱雲誌は先師北田岳洋先生が31歳のとき昭和8年に創刊、途中戦争で一次休刊を余儀なくされた期間はありますが、実に80年余、4月号で811号におよぶ超ロング競書誌でした。
岳洋先生は平成11年に97歳でお亡くなり、になりましたが、その後は息子さん(故人)のお嫁さん久美子さんが代表を務めて現在に至っております。
先師北田岳洋先生は創刊号より亡くなる直前まで漱雲誌に巻頭言を執筆していました。私が入会して二年ほど経った昭和45年9月に第300号記念号が出ましたがその巻頭言に漱雲誌の歴史が紹介されていますので抜粋してみます。
「本誌は昭和8年12月謄写版刷りで創刊、第4号より活字印刷に切り替え、そのまま昭和13年5月まで発行、その年の4觿月に小生応召のため一時休刊。昭和16年外地より帰還後直ちに再刊を計画したが、戦争も益々熾烈、之に加えて紙類も統制に遇い終にこれを断念、昭和18年再度応召、仏印で終戦、翌21年5月内地に帰還、郷里に帰れば戦災のため家屋は消失、家族も全員死亡、一時は全く途方に暮れなすすべもなかったのである。
昭和25年4年暫く念願かなって、再刊第1号を発行できたのであるが、帰還後約4年間は慣れない農事に従事、その余暇に漱雲誌を発行、昭和27年1月現在地に落ち着くまで、その状態が続いたのである。
その頃雑誌には小生の肉筆手本1枚づつ付けて行ったが、会員が800人を超えるようになってそれも中止せざるをえなくなった。農事の余暇に800枚の肉筆手本は、毎日30枚書かねばならず、その手本と雑誌編集は殆ど夜の仕事であり、苦しい毎日であったが、今になってみればまた楽しい思い出の一つでもある。今月待望の300号を迎えたことを契機として、一層駄馬に鞭打って自分の生ある限り皆様のお力を拝借してさらに漱雲誌の発展に力を尽くしたいと念願しております。・・・略」
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