2015年12月26日土曜日

雅支部通信 第63号・・・大通り 即かず離れぬ落ち葉かな(H24.12.1)

中国の書の歴史・・・その7(漢代2)
 前漢中期から前漢後期には、河北省から「論語」の竹簡をはじめ、墓葬の副葬目録など多数の木簡による肉筆資料が出土しています。このころになると書体は小篆と隷書の折衷体で書かれたものなどもありこれらは秦代の篆書の早書き書風から、波磔(はたく)を発生させて隷書に移っていく過程を示しています。漢隷への発展過程の書風といわれています。
 さらに、現在中国全土から出土している木簡や竹簡(あわせて簡牘=かんとく=という)の中で、早期に発見された敦煌のそれが有名ですのでちょっと触れてみますと、1900年から1908年にかけてイギリスのオーレル・スタイン(1862~1943)が敦煌、桜蘭を探検した際、おびただしい数の書跡、古文書、木簡残紙を発見しましたがそれらを敦煌漢簡といいます。(居延漢簡は居延県=内蒙古)
 この発見は木と紙の両方あって、書体も古隷、八分(はっぷん)、草書(隷書の速書)のほか章草(字画は今の行草書に似て筆法は漢隷風な書体)からほとんど草書に近いものまであります。篆書の簡牘はわすかで、実用の要求からすでに草隷、さらに草隷から草書へとニーズは移行していることを示しています。しかし時代はまだ紀元前です。本格的な草書は後漢の末まで待たなければならないでしょうが、木簡の発見で隷書から草書が生まれてきたことが実証されたわけです。
 このころの木簡・残紙の用筆法は、逆筆にて強く突っ込み、あとは筆の弾力性を利用して抜くように筆を収めています。木簡による書の変遷の一部を居延漢簡にて紹介してみます。

戦国初期から晋にかけて展開された木・竹簡、帛書の歴史を辿ると、篆書・隷書・草書・行書・楷書などさまざまな書体があります。

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