漢字の歴史・・・その19(楷書)
楷書は一点一画を独立させて書く書体です。楷書の成立は、ほかの書体にくらべて一番遅いと言われています。西晋の泰始5年(269)の「詣鄯善王検(けいぜんぜんおおけん)」にはすでに横画や転折部に「三過折(さんかせつ)*1」の筆法が見られ楷書の成立は三世紀の後半と解釈されています。
楷書はよく「北碑派」と「南帖派」に分けられて比較されます。北魏の石などに刻された字を中心に学ぶ人たちと法帖を中心に学ぶ人たちをの流れです。
画に南北の別があるのと同様に、所にもこの別派があると唱えたのが、清朝の役人、文人でもあった「阮元(げんげん)」です。
時代によってはかなり激しい南北優劣論があったようですが、現在は阮元の疏泄をそれなりに肯定しながらも作品の一々については強いて南北に分類するというかたくなな態度はとらず、碑と帖とに甲乙を設けず、いずれも重視するという方向に向かっています。
現に今私たちが学んでいる王義之の系統は帖学派ですし、欧陽詢・褚遂良や北魏の碑や摩崖、鄭道昭を学べば碑学派になってしまいます。現在の中央の展覧会などを観てもまさに南北合一となっています。
*1…運筆法の一種。一画に三度の筆勢を変える法で、例えば横画一本引くのに、起筆、送筆、終筆と三つの姿勢をもたせ、その姿勢の統合のうえに運筆することなど。
0 件のコメント:
コメントを投稿