2015年12月22日火曜日

雅支部通信 第60号・・・羅臼見ゆ 秋なお暑しオホーツク(H24.9.1)

中国の書の歴史・・・その5
 中国を統一した始皇帝は、秦国の方針、すなわち思想・命令を徹底させるためにおこなった最初の仕事が文字の統一でした。そして、秦国の実権を天下にひろく知らしめる為と同時に文字を普及させる目的から、四方に巡幸の折、小篆を使った刻石を建て、自ら徳を褒め称えました。
 著名な刻石に<泰山刻石><嶧山(えきざん)刻石><瑯耶台(ろうやだい)刻石><会稽(かいけい)の刻石>などがあります。
 これらの諸政策をすすめる上で忘れてならないのは、文字統一の事業をはじめ、これらの刻石の筆者と言われている丞相、李し(りし)の存在です。李しはこお書体を広めるために児童用の識字読本「蒼頡篇(そうけつへん)」をつくり、それを小篆で記したほか権量文字、印壐にまでその筆跡をふるった始皇帝の片腕と目される役人です。
 なお、1975年(昭和50年)に湖北省雲夢県から一千点に及ぶ竹簡(睡虎地秦簡)が発見され、それが秦時代のものとわかり秦代は篆書の時代と言われながらも、正式な文書は小篆がつかわれ、行政機関でも、普通に記録する場合の文字には書きやすい隷書が使われていたことが明らかになりました。

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