2016年3月14日月曜日

雅塾通信 第90号・・・春暁や 冬の名残の庭を掃く(H27.4.1)

中国の書の歴史・・・その26
 書譜=唐代に書かれた孫過庭の書譜、書をする者はだれもが一度は学ばなければならない古典の一つです。現代ではあまり実用性のない草書作品ですが癖のない書体とその書かれている書論は、書いても読んでも興味の尽きるところはありません。
 一般的に書を学ぶには楷書から入ります。続いて行書、草書と段階を踏むわけですが正しい楷書による字の構成を身につけておけば、行書、草書に進んでも基本的な形は崩れることはありません。
 書は線質が命ですがそれを生み出すのは運筆の速さの変化です。楷書、行書にも送筆の遅速はありますが草書にはさらにそれが必要です。
 書譜の現代語訳(松村茂樹訳)のなかにこんな一文が載っています。
 筆をためながらゆっくり書くということがわかっていない者が、ひとえに強く素早く書こうとしたり、迅速に筆を運べない者が、かえっておそく重苦しい運筆をしたりすることがある。
 そもそも強くすばやく書くなどということは世俗を超越した機転によるものであり、遅くとどまるように書くというのは鑑賞の情趣のためである。速筆を会得した人が反対にゆっくり書こうとするならば、ゆくゆくは美を醸し出せるようになるであろうが、もっぱら遅筆におぼれていては、人並みに外れて優れることはできなくなってしまうであろう。
 速筆ができた上ではやく書かないのは、いわゆる筆をためながらゆっくり書くというすぐれた技法であるが、遅筆しかできないために遅く書かれたものなど、どうして鑑賞に値しようか。
「心は閑にして手は敏(すばやい)」という境地に至らなければ、速筆と遅筆に兼ね通じることは難しいであろう。以上
春はのびのび、草書を学ぶにはよい季節です。

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