文物全部ひっくるめると200点以上の展示物があり、書関係でも30数点の名品が展示されていて、目標を定めて観覧しないと、「凄かったなー」だけで終わってしまいそうです。
勿論、書を中心として拝観しました。印刷本でおなじみの王羲之「遠宦帖」や孫過庭「書譜」、趙孟頫の「赤壁賦」「閑居賦」の真跡は、何度か臨書したおかげで親しみやすく、癖のない王羲之流の書体がすっと体にしみこんできました。
しかし、今回の展覧会の主体は北宋時代の書が中心でした。規律に則った唐代までの書から、個性を出してきた人たちの書、いわゆる宋の四大家、祭襄(1012~1067)、蘇軾(1036~1101)、黄庭堅(1045~1105)、米芾(1051~1107)とその周辺の人たちの作品が多数展示されていました。
唐代までの書は、貴族文化、高級官僚の書風が中心でしたが、宋代に入り科挙試験(隋代から始まった高級官僚登用試験制度で日本でいう公務員試験のようなもの、だが門戸は極端にせまい)の制度が変わり、地方試験も加わったため多くの貴族以外の人が高級官僚になれました。それらの人を士大夫(したいふ)と言いますが、彼らは学問を通して身に着けた豊かな教養を基盤として社会を導き、書の世界でも新しい流れを生み出しました。
そららの代表格が前述の4名です。彼らは唐代までの普遍的な書の基礎の上に「意」を注ぎ込みました。。それは形だけの美しさを求めるだけでなく、筆墨を媒体として、心境、いわゆる胸中の思いをも表出できるものに発展させたのです。いわゆる個性的な書の出現です。
今回の観覧はそのあたりの変化と、四大家の「生」の作品を観て、個性的な書の表現とはどんなものなのか、不遜ながらどの作家の作品の個性が一番自分に気に入るか、そんなことを見極めようと思って行きました。
さて、ここで一般論になってしまいますが、書の鑑賞は難しい・・・という話をよく耳にします。確かにそうです。
結論を言ってしまえば書の鑑賞は、する人なりの見方しかできない、その人が蓄積してきたものの範囲内でしか見えないということになります。
しかし、その範囲内でも鑑賞の仕方によってその範囲を広げていくことはできます。
具体的な鑑賞法を記してみますと、
イ、まず会場に入ったらこの中で一番いいのはどれかを決めようという気持ちで会場を一巡する。
漠然としていますが、例えば、自分でもらって帰るとしたらどれがいい、位の基準でいいでしょう。
ロ、一枚選んだら離れてみて作品の構成や雰囲気を感じたり、この作品のどこがどういいのか、
なぜいいと思ったか、また近づいてみて、いいと思ったところの線をじっくりと指でなぞったりして
(ふれてはいけません)どう筆を動かしたのかなど、起筆、送筆、終筆をじっくり観て自分自身の
結論を出します。
ハ、また数メートル離れて今観察したことを反芻してみる。
ニ、これを繰り返して、なぜ作者はこう書いたのだろうかと疑問がもてれば素晴らしい、そして自分なりの
作品に対する意見を作ってみることが大切です。
*展覧会に行くたびにこうした見方をしていれば「よかったねー」「凄かったねー」だけの感想で終わることなく鑑賞眼も高まっていくことと思います。
漠然としていますが、例えば、自分でもらって帰るとしたらどれがいい、位の基準でいいでしょう。
ロ、一枚選んだら離れてみて作品の構成や雰囲気を感じたり、この作品のどこがどういいのか、
なぜいいと思ったか、また近づいてみて、いいと思ったところの線をじっくりと指でなぞったりして
(ふれてはいけません)どう筆を動かしたのかなど、起筆、送筆、終筆をじっくり観て自分自身の
結論を出します。
ハ、また数メートル離れて今観察したことを反芻してみる。
ニ、これを繰り返して、なぜ作者はこう書いたのだろうかと疑問がもてれば素晴らしい、そして自分なりの
作品に対する意見を作ってみることが大切です。
*展覧会に行くたびにこうした見方をしていれば「よかったねー」「凄かったねー」だけの感想で終わることなく鑑賞眼も高まっていくことと思います。
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