2016年3月12日土曜日

雅塾通信 第81号・・・田植え時や 夜明けとともに村動く(H26.7.1)

中国の書の歴史・・・その18
 南北朝を統一した隋の国は37年という短命でしたが書の世界についていえば、南方の書派が融合された時代と言えます。
 隋代の書は碑や墓誌、造像記、写経などが残されていますが、ほとんど楷書で書風も温雅整斉です。
 有名な碑では<龍蔵寺碑><啓法寺碑>、墓誌では<美人董氏墓誌><蘇孝慈墓誌>などがあります。法帖としては、智永の<真草千字文>が特に有名です。
<真草千字文>については紹介しておきます。
「梁(502~557)」の周興嗣(しゅうこうし、?~521)が武帝の命によって編集したものです。すべて四言句からなる韻文詩です。千字文の最初は、王羲之の筆跡を忠実に模写(双鉤填墨)した習字の手本でした。後世は、識字の教科書としても使われました。真とは楷書で、草とは草書の事です。
 王羲之の子孫である智永(7代目の孫と言われている)は弟子たちの習字の手本にとこの千字文を王羲之風の書で書きました。
 智永は長安の永欣寺の住職で永禅師と称され、終日書を臨すること30年、諸体をよくしましたが、特に草書が得意と言われています。<真草千字文>は実に800余体をつくり、全国の寺々に施入しています。
”退筆山の如し”であったので、埋めて筆塚を作ったといわれています。智永は筆塚の創始者でもありました。

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