中国の書の歴史・・・その17
王羲之時代に続く(時代は一部重なるが)書と言えば南北朝の碑や摩崖、墓誌名に書かれた書体でしょう。この時代の書の流れは大きく二つに大別できます。
一つは三国時代以降急速に普及してきた楷行草書、王羲之が確立した美しく雅な書体にさらに力強さを加えた北魏の書が加わってきたこと、二つ目は前代からの主流であった篆隷体は衰退し、辺境な地においてのみ残されてしまったことです。
これは文字の普及とともに必然的な流れですが、戦乱に明け暮れた五胡十六国時代から写経が盛んになってきたことも大きく影響しています。写経は楷書が主流でした。
南北朝時代に残された造像記や碑はおびただしい数です。
造像記は仏教崇拝の年から作られたもので、石窟をほり、石仏をつくり、その仏像を刻した由来を記した文字を刻したものです。
敦煌の千仏洞、山西省大同の雲崗(うんこう)石窟、洛陽の龍門石窟が中国の三大石窟です。
代表的な造像記の文字としては牛橛(ぎゅうけつ)と始平公を、碑としては張猛龍碑(ちょうもうりょうひ)、鄭義下碑(ていぎかひ)をそれぞれ載せておきます。
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