2016年3月13日日曜日

雅塾通信 第85号・・・秋うらら 里帰りし娘(こ)の昼寝かな(H26.11.1)

中国の書の歴史・・・その21
 前回、太宗皇帝の作品、「晋祠銘」と「温泉銘」を図版で載せましたので、中国書道辞典・書の基本資料誌を参考にして概略を説明します。

 「晋祠銘」=この碑は春秋時代の晋国の祠廟に建てられているのでこの名があります。今の山西省太原市の晋祠に現存しています。
 太宗皇帝が高句麗征伐の帰途にここに立ち寄り、神に天下統一を告げ、報恩のため撰書して建てたものです。碑身195㌢×123㌢、題額は*飛白書(ハケ筆のようなもので書いた書体)で「貞観廿年正月廿六日」と三行に大書されています。本文は行書28行・行44字~50字、書は筆力があり堂々と王者の風格を備えています。石質が良くないため筆法の鋭さ、すばらしさは欠けています。
 本来、碑文は厳格典雅を重視し楷書、隷書、篆書などで過去には書かれていましたが、皇帝自ら行書で書いた為、以来、行書碑が流行しだしました。行書碑の第一号です。

「温泉銘」=これも撰文は太宗自身です。驪山(りざん)温泉の霊効や風物について述べられた碑で、これも堂々とした行書です。文字は王羲之風で「晋祠銘」によく似ていますが筆に速度があり流麗、筆力・骨力を蔵して線の強さ・美しさはこれを凌ぐといわれています。(前回図版参照)
原石はすでに無いため原碑の姿は不明ですが唐拓と推定される拓本が敦煌石窟で発見され、行書48行・250余字を在しています。現在はパリの博物館に蔵されています。

*飛白書=書体の一種、後漢の蔡邕が掃除後の帚目にヒントを得て作ったものと言われています。
漢から魏にかけては相当流行していました。「画中に白の部分がリズミカルに散在している書」で隷書体の範疇に入ります。
唐代の題額にいくつかの例はありますが現代ではすでに滅びた書体です。空海はこれを輸入して独自な形態まで発展させ空海体を創始しましたが一代で終わりました。

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