2016年2月15日月曜日

雅支部通信 第76号・・・すす掃きや 柱に残る背くらべ(H26.1.1)

あけましておめでとうございます。
 ことしは十二支でいえば七番目、午(ゴ・うま)の年です。動物では馬が充てられています。十二支でいえば後午(コウゴ、きのえうま)の年です。
 馬はご存知のように人間の生活と昔から大きく拘わってきました。したがって、用語・故事・ことわざも多いようです。
 「当て馬」「生き馬」「絵馬」「竹馬の友」「馬脚」「馬齢」「馬力」「野次馬」「尻馬」「午睡」「初午」「午陰」など、更に故事・ことわざでは「馬の背を分ける」=夕立がここに降って、あそこには降らないこと。「馬によってみよ、人には添うてみよ」=良馬であるかどうか実際に乗ってみないとわからない、人も共に暮らしてみなければ人柄はわからない、実際に物事は経験してみないとわからないということ。
 最後に私が好きな故事を少し詳しく載せてこの項を終わります。
 「人間万事塞翁が馬」=淮南子(えなんじ・人間訓)にある故事に基づく、国境の塞近くに住む占いの巧みな老人(塞翁)の持ち馬が胡の国に逃げた。気の毒がる人に老人は「これが幸福のもととなる」と言ったところ、やがてその馬が胡の駿馬を連れて戻ってきた。これを福として、祝いを述べに来た人に老人は「これが不幸の基となる」と言った。老人の家には良馬が恵まれたが今度はその子が馬から落ちて足の骨を折ってしまった。これを見舞った人に老人は「これが幸福の基となる」といった。
 一年後胡軍が大挙して侵入し、若者の殆どが戦死した。しかし、足を骨折したためにその子は戦わずに済んだので親子ともども無事であったという。すなわち災いがいつ福の原因になるかかわらず、福がいつ災いの原因になるかわからない。人間なにが幸せで何が不幸かわからない、いたずらに一喜一憂しても始まらないことのたとえ。

 ○朝日新聞社が主催する第58回現代書道二十人展を6日、会員5名のみなさんとともに見てきました。私は4年ぶりの観覧です。この展は、昭和32年に第1回展を開いて58年目、当時の代表的展覧会というと日展と毎日展だけです。このふたつは公募展として戦後の書壇の復興に大きな役割を果たしてきましたが、現代書道二十人展はその時代を代表する書家を20人だけ選んで展示するという非常に難しい人選のなかで生まれた質の高い展覧会です。
 意外なことにこの展覧会開催の発端は上野松坂屋にあったということです。(田宮文平説)。松坂屋が新春に相応な催事をさがして書家の柳田泰雲に相談、協力は朝日新聞社にお願いしたいということで話は進んだようです。とは言っても種々ある流派の中から20人だけ選ぶというのは至難のことであったでしょう。書壇側からはどう厳選しても30人になるということで朝日新聞社に持ち掛けたが朝日側は譲らず、長老支配の印象を与えるので芸術院会員は外してほしい。日展中心ではなく在野をなるべく加えてほしい。との逆提案が示されてしまい多分相当苦しんでの20人展になったと思います。

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