2016年2月13日土曜日

雅支部通信 第70号・・・健診を 終えていずるや あげ雲雀(H25.7.1)

 春の東京国立博物館「王羲之展」はまだ記憶に新しいところですが、来る7月13日(土)から9月8日(日)まで同じく東博にて特別展「和様の書」が開催されます。
 「和様」とは文字通り日本風を意味する言葉ですが、書のほか建築の様式などにも使われます。
 日本で漢字がみられる最古のものは金印「漢委奴国王(かんのなのぬこくおう)で、西暦57年ごろのものと言われています。日本で最古に書かれた漢字は熊本の江田古墳から出た太刀の銘文です。
 肉筆で残る最も古い字は聖徳太子が書いた「法華義疏(ほっけぎそ・ほっけぎしょともいう)」=法華経の注釈書です。
 さて、奈良時代になると唐との交流が盛んになり、書では光明皇后の「楽毅論」に代表されるように王羲之の系譜にたつものが主流でした。官立の写経所が設けられて、漢訳仏典の書写が盛んになりました。
 平安時代になると唐が滅亡し、遣唐使も中止になりましたが初期には三筆(空海・嵯峨天皇・橘逸勢)の活躍で漢詩・漢文・漢字文化は中国風そのままでした。しかし男性中心であった平安時代も、陰で女性たちがから時代の万葉期に芽生えた万葉仮名から平安仮名へと新分野を作り出し、女性社会の中で文学や芸術を反映させてきました。
 「和様の書」は平安中期以降の中国書風と相対立する日本独自の書風全般をさして呼びます。
女性の弱い社会的地位は、男性社会の漢字・漢文を使わせてもらえず、文字通り「女手(おんなで)」「仮り名」とよばれるかな文字にすべてをかけて、ひそかに、しかし滔々と蕩蕩と平安かなの名作・高野切古今集、関戸本古今集・寸松庵色紙、継色紙などを生み、誰が書いたかわからないまま伝えられてきました。
 典雅なき気品と優麗なリズムを誇るこれら日本の名品は日本の書道史上でも最高の傑作と呼ばれてもよいでしょう。男が名を秘めてかな文字を書き始めたという時期もあったようです。
 鎌倉から室町時代は獰猛な武士集団がせめぎあう時代、公家に伝わる流儀書道(和様)は苦悶にあふれ生気を失いわずかに禅僧の道元、一休らがパンチのきいた書を残しています。
 江戸時代は内容より形式を重んじ、身分と地位を守る社会、幕府の締め付けも強く、文化や芸術の分野でも独創より伝承を重視した時代でした。書では幕府公認の御家流(和様書の一流派だが没個性書といわれる)でなくてはならず、新生面は開けませんでしたが地方ではやはり禅僧、越後の良寛・駿府の白隠・博多の仙崖などが個性的な美を開花させていました。
 総じて江戸時代は儒教的な教養に支えられた文人趣味流行の時代と言えるでしょう。大きな変化もなく明治になっていきました。

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