中国の書の歴史・・・その15
秦代の後半から漢代に書かれた木簡資料や帛書の文字資料をみると、古隷・八分・早書きの草書というものから、章草や草書とみられるもの、また行書らしい書体のものまであって混沌とした状態です。
それが東晋の時代になるとはっきりした行書・草書・章草の区別がつくものが現れてきます。
楷書らしい書体の確立は、五胡十六国時代の「老女人経(ろうにょにんきょう)=写経=後漢の書という説もあり」あたりからであるというのがひとつの説です。今後の発掘によって明らかになる部分があるにしても楷書は草書や行書よりも遅れて生まれてきたことには変わりないと思います。
さて、だいぶ回り道をしましたが王羲之についてふれてみます。
王羲之は琅琊(ろうや)の名族王氏の出身で字を逸少(いっしよう)といい、かつて右軍将軍という官についたことがあるので、世に王右軍(おおゆうぐん)と呼ばれています。
生卒年月についてはいろいろ異説もありますが、西晋の永嘉元年(307)に生まれ、東晋の興寧3年(365)、59歳で没したというのがほぼ正確に近いものとされています。
かれは45歳の時右軍将軍、会稽内史(かいけいないし)となり、任地に赴きました。
この会稽というところは春秋時代の越(えつ)の古都で、今の浙江省紹興市にあたり、美しい山水の風景に恵まれた土地でもあります。彼はここに在任すること4年、そのうちの永和9年(353)の3月3日、この地において劇跡と称せられる「蘭亭序」を書いています。
説によれば使用筆は鼠髭筆(そしゅひつ)、用紙は蚕繭紙を使用し、一気呵成に38行324字を行草書交じりで書いたとあります。
即興の草稿であるため誤字めいたもの、脱字を後から加えたもの、書き換えた文字、異体字などがありますので蘭亭序を参考にして創作作品を創る場合は文字を書き換えるなどの注意は必要でしょう。
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