連休明けに例年通りニガウリの苗を4本買ってきて植えました。天候も湿りがちの日が続き水やりをすることもなくすくすくと育つのを横目に眺めていました。蔓も元気よく添え木に巻き付き始めたので苗の上に下がっているすだれを巻き上げながら近づいてみると手前から三番目の苗の葉がなんとなく元気がなさそうなのでさらに寄ってみると葉に3つの大きな穴があいていました。
葉の上にはダンゴムシが二匹・・・ダンゴムシ?が、ちょっと迷いましたが現行犯だ!と丸まったダンゴムシを処分しました。その後野菜を作っている同級生が遊びに来たので「ダンゴムシはニガウリの葉を食べるかね?」と聞いたら「さぁ~、食わねえだろう」と言いました。
今頃ダンゴムシは「冤罪だ!」と怒っているだろうか、真相を突き止めたい気持ちです。
5月28日(日)”瓦で遊ぼう”の講習会が開かれました。
飯島俊城先生を講師にお招きして凞光書道塾と合同で藤岡瓦を作るのと同じ土を使って書道用具を作りました。
墨床、水滴(水盂)、香炉、筆架、硯屏、小硯、小物入れ、犬(?)などなど沢山に用意された土が次々と思い思いの作品に仕上がっていく、みんな真剣で一生懸命、時々笑い声が入ってまさに童心に返った二時間余りでした。
さて古来より書の世界には「文房四宝」という言葉があります。
「文房」とは書斎の事、「四宝」とは書をする上でなくてはならないもの、則ち「硯・筆・墨・紙」の四種の事で、書斎における宝物として大事にされてきました。この中でも王様と言われるのは硯です。ほかの三品は随時補充(中には美術工芸品としての価値があるものもあります)しますが硯は一生の友とも言われています。
また、書をする上で必ずしも必要なものではありませんが、筆筒、筆洗、筆架、書鎮、水滴、硯屏の六品を四宝と合わせて「文房十友」と呼んでいます。
その他にも書を取り巻く文房具には硯箱、印箱、印盒、筆吊、腕枕、怪石などなど愛玩物的要素の高いものもありますが、これらを愛でることによって多くの文人たちは環境を整え、鑑賞眼を、創作意欲をそして精神性を高めていったのでしょう。
今回、自分自身で作った文具を机上に置き眺める事ができますが、これはちょっとした贅沢なことなのかもしれません。
2017年6月11日日曜日
2017年6月4日日曜日
雅塾通信 第113号・・・丸刈りの畦に黒々キジ一羽(H29.5.1)
藤岡公民館の二階にある書道教室の南側の窓から外を眺めると、駐車場には車がびっしり、道を挟んだ向こう側の市民ホールの駐車場もいっぱいの車、その西側のサッカー場には30人ほど御高齢の方がグランドゴルフに興じています。若葉を揺らしながら春の風がさわやかに流れ、真剣に筆を動かす教室は、物音ひとつしない静かな平和な空間です・・・一瞬、「ここへミサイルが飛び込んだら!」と想像してしまいました。この平和な空気はいっきに方向転換するだろう、と想像力は悪い方へ悪い方へと進みます。いろいろあるでしょうが、トップ同士の外交交渉を切に願うものです。
春は出会いの季節であるとともに初心に帰る良い時期です。書の基本事項について少し考えてみます。
手本について
文化祭や市民展のとき、書作品を見に来た絵の関係者の方に何度か「この作品は自分で考えた作品ですか」と聞かれたことがあります。最初質問の意味が分からなかったのですが、これは手本があるのかどうかを聞きたかったようです。真似か創作家で評価の基準を作ろうとしたのでしょう。
書には臨書という大事な学習方法があり、また師に手本を書いてもらいそれをまねることがあたりまえのようになっていますがそのあたりが絵の世界とは少し違うのかもしれません。
景色や物をみて「絵になる」などと評価することがありますが「字になる」とは言いません。このことは習う対象物が絵と書とでは全く違うということです。
書は人間が必要として考え、作り上げた文字を書くのですから人の書いた古典や師の手本を真似することは仕方のないことです。もちろん書以外の芸術作品や自然の風物を書の手本として取り入れることはある意味大事ですが、本命はやはり人の書いた書そのものを手本にすることといえます。
ここで手本には二種類あると考えなければいけません。ひとつは古典的な作品、もう一つは師を含めて近・現代人の作品です。
古典的作品は、長い歳月にわたり、無数の人たちの鑑賞評価を経て、今まで生き残ったものでありますから現代人の手本よりは作品としては優れていると思います。しかし古典作品はもともと手本として書かれたものではなく、またその多くは石や木に刻されたものの拓本が多いので初心者には習いにくく難しいと思います。そこで師が書いた古典を参考にし、現代人の書かれたものをその時々の力に合わせて練習することが必要になってくるわけです。
しかしこの段階はなるべく早くに卒業し自分の力で古典を習うことができるように努力をしたいものです。
さらに言えば古典を習うことも最終目標ではなく、真の目標は自分自身の書風の確立と思います。手本なしで作品を仕上がることから始めなけらばなりません。この作業は苦しいけど楽しいものでもあります。
ここで手本の弊害を一つ。手本を習うことはその型にはまることを目標にすることですから、時としえその人の才能を、良さを摘み取ってしまうこともあるのです。また一つの型にはまってしまうと次の段階、次の型へ向かって脱出することが容易でないということです。
型というものは決して一つではないということも頭に入れておきたいことです。
春は出会いの季節であるとともに初心に帰る良い時期です。書の基本事項について少し考えてみます。
手本について
文化祭や市民展のとき、書作品を見に来た絵の関係者の方に何度か「この作品は自分で考えた作品ですか」と聞かれたことがあります。最初質問の意味が分からなかったのですが、これは手本があるのかどうかを聞きたかったようです。真似か創作家で評価の基準を作ろうとしたのでしょう。
書には臨書という大事な学習方法があり、また師に手本を書いてもらいそれをまねることがあたりまえのようになっていますがそのあたりが絵の世界とは少し違うのかもしれません。
景色や物をみて「絵になる」などと評価することがありますが「字になる」とは言いません。このことは習う対象物が絵と書とでは全く違うということです。
書は人間が必要として考え、作り上げた文字を書くのですから人の書いた古典や師の手本を真似することは仕方のないことです。もちろん書以外の芸術作品や自然の風物を書の手本として取り入れることはある意味大事ですが、本命はやはり人の書いた書そのものを手本にすることといえます。
ここで手本には二種類あると考えなければいけません。ひとつは古典的な作品、もう一つは師を含めて近・現代人の作品です。
古典的作品は、長い歳月にわたり、無数の人たちの鑑賞評価を経て、今まで生き残ったものでありますから現代人の手本よりは作品としては優れていると思います。しかし古典作品はもともと手本として書かれたものではなく、またその多くは石や木に刻されたものの拓本が多いので初心者には習いにくく難しいと思います。そこで師が書いた古典を参考にし、現代人の書かれたものをその時々の力に合わせて練習することが必要になってくるわけです。
しかしこの段階はなるべく早くに卒業し自分の力で古典を習うことができるように努力をしたいものです。
さらに言えば古典を習うことも最終目標ではなく、真の目標は自分自身の書風の確立と思います。手本なしで作品を仕上がることから始めなけらばなりません。この作業は苦しいけど楽しいものでもあります。
ここで手本の弊害を一つ。手本を習うことはその型にはまることを目標にすることですから、時としえその人の才能を、良さを摘み取ってしまうこともあるのです。また一つの型にはまってしまうと次の段階、次の型へ向かって脱出することが容易でないということです。
型というものは決して一つではないということも頭に入れておきたいことです。
2017年5月15日月曜日
雅塾通信 第112号・・・暖かや 愛車の傷も治りくる(H29.4.1)
何事も基本は大切ですが、改めてそれでは書道の基本とはいったいなんでしょうか。最初に習う基本点画、永字八法などはもちろん基本中の基本ですがこれを完全にマスターしてから次と言うものでもありません。
今、当塾では古典の臨書を中心に勉強をしえいます。一言に古典と言ってもいつの時代までのものを古典と呼ぶのか、この位置づけは大事です。昔のものがなんでも古典かと言うとそうではありません。私見ですが唐代の書までが古典と言われるのにふさわしいような気がします。なぜなら王羲之の普遍的な文字を基本に据えて書かれた書がざっくり言ってしまえば唐代までだったからです。
唐代以降は個性が表面に出た書が多くなってきました。(古典を土台にした上ではあるが)。歴史と社会背景から必然に生まれたこれら個性的な作品は古典として学ぶには危険が伴います。しかし古典臨書と平行して創作作品を創っていく上では大いに参考になります。
今、雅塾で学んでいる古典は唐代までのそれが中心です。楷書では九成宮醴泉銘、行書では蘭亭序、集字聖教序、草書では書譜、隷書では乙瑛碑、曹全碑などの漢碑類です。基本とは日々これらの古典を学んでいることを言います。
ここで大事なのは基本ですから徹底的に真似をすることです。これを自分流で書いてしまうと基本から外れて我流の字になってしまいます。
したがって日々の練習の中に基本があるのです。基本を学びながら創作作品を創るときには好みに応じて古人の書かれた好きな作品の中からその筆法・構成を学び取るようにするのが良いと思います。
今、当塾では古典の臨書を中心に勉強をしえいます。一言に古典と言ってもいつの時代までのものを古典と呼ぶのか、この位置づけは大事です。昔のものがなんでも古典かと言うとそうではありません。私見ですが唐代の書までが古典と言われるのにふさわしいような気がします。なぜなら王羲之の普遍的な文字を基本に据えて書かれた書がざっくり言ってしまえば唐代までだったからです。
唐代以降は個性が表面に出た書が多くなってきました。(古典を土台にした上ではあるが)。歴史と社会背景から必然に生まれたこれら個性的な作品は古典として学ぶには危険が伴います。しかし古典臨書と平行して創作作品を創っていく上では大いに参考になります。
今、雅塾で学んでいる古典は唐代までのそれが中心です。楷書では九成宮醴泉銘、行書では蘭亭序、集字聖教序、草書では書譜、隷書では乙瑛碑、曹全碑などの漢碑類です。基本とは日々これらの古典を学んでいることを言います。
ここで大事なのは基本ですから徹底的に真似をすることです。これを自分流で書いてしまうと基本から外れて我流の字になってしまいます。
したがって日々の練習の中に基本があるのです。基本を学びながら創作作品を創るときには好みに応じて古人の書かれた好きな作品の中からその筆法・構成を学び取るようにするのが良いと思います。
2017年5月14日日曜日
雅塾通信 第111号・・・てのひらに小じわ目につく寒の朝(H29.3.1)
2月は逃げると言われていますが逃げられないように一日一日を意識しながら過ごしました。
若い頃からの好きなフレーズに”無理なく無駄なくあきらめず”というのがあります。「無理なく…あきらめず」と言うところは納得していましたが「無駄なく」の部分が引っかかっていましたので少し変えて”無理なく急がずあきらめず”と言い換えていました。何をもって無駄と言うのだろうかとちょっと自信がなかったのです。しかし最近は、この世に「無駄なものなし」と割り切って”無駄なく”に戻っています。無駄なものはないと思うと楽になりました。
2月11日、12日の両日、藤岡公民館文化サークルの展示会が市民ホールで開かれました。
生け花、手芸、刻字、篆刻、織物、俳句、絵画、絵手紙、紙粘土、ペン、書道など34教室の参加で、書道だけでも8教室、約90名の方が出品しました。
二日間の展示ですが作品作りから解放された生徒さんたちは、見学に来た知人・友人たちに「駄目だ駄目だ」と照れながらも楽しそうに時を過ごしていました。
24日~27日まで桐生市文化会館で聖筆選抜100人展が開催されました。雅塾からは小生と菅生紫玉さんが出品しました。初日には紫玉さん、三葉さんの塾生二名と松本・飯島・安原君ら書友7名で鑑賞してきました。
久しぶりにお会いした星野主幹は、100名選抜する苦労話や寄合書道会の難しさなど話されていました。
ご存知のように聖筆会は毎日系です。しかし種々の事情で創設時から一党一派に属さない事を運営方針としていますから公にはそのような発言をしているし会員は自由に活動しています。そのあたりの空気のありように主幹としては苦労があるようです。
書の世界はとてつもなく長い歴史と伝統の中で育ってきています。幅広い世界ですから自由な発想で学んでいきたいものです。
聖筆誌3月号に出品者100名全員の作品が載っていますのでご覧になってください。
「書道の展覧会は難しい、よくわからない」とはよく耳にする言葉です。
しかしどんな書展でも目的をもって開催されます。目的を知りたくさんの作品を見ることによって書の世界が広がり理解力も高まります。機会を見つけて鑑賞しましょう。
若い頃からの好きなフレーズに”無理なく無駄なくあきらめず”というのがあります。「無理なく…あきらめず」と言うところは納得していましたが「無駄なく」の部分が引っかかっていましたので少し変えて”無理なく急がずあきらめず”と言い換えていました。何をもって無駄と言うのだろうかとちょっと自信がなかったのです。しかし最近は、この世に「無駄なものなし」と割り切って”無駄なく”に戻っています。無駄なものはないと思うと楽になりました。
2月11日、12日の両日、藤岡公民館文化サークルの展示会が市民ホールで開かれました。
生け花、手芸、刻字、篆刻、織物、俳句、絵画、絵手紙、紙粘土、ペン、書道など34教室の参加で、書道だけでも8教室、約90名の方が出品しました。
二日間の展示ですが作品作りから解放された生徒さんたちは、見学に来た知人・友人たちに「駄目だ駄目だ」と照れながらも楽しそうに時を過ごしていました。
24日~27日まで桐生市文化会館で聖筆選抜100人展が開催されました。雅塾からは小生と菅生紫玉さんが出品しました。初日には紫玉さん、三葉さんの塾生二名と松本・飯島・安原君ら書友7名で鑑賞してきました。
久しぶりにお会いした星野主幹は、100名選抜する苦労話や寄合書道会の難しさなど話されていました。
ご存知のように聖筆会は毎日系です。しかし種々の事情で創設時から一党一派に属さない事を運営方針としていますから公にはそのような発言をしているし会員は自由に活動しています。そのあたりの空気のありように主幹としては苦労があるようです。
書の世界はとてつもなく長い歴史と伝統の中で育ってきています。幅広い世界ですから自由な発想で学んでいきたいものです。
聖筆誌3月号に出品者100名全員の作品が載っていますのでご覧になってください。
「書道の展覧会は難しい、よくわからない」とはよく耳にする言葉です。
しかしどんな書展でも目的をもって開催されます。目的を知りたくさんの作品を見ることによって書の世界が広がり理解力も高まります。機会を見つけて鑑賞しましょう。
2017年2月12日日曜日
雅塾通信 第110号・・・雪被り 面貌変える今朝の山(H29.2.1)
毎年思うことですが、1月という月は長く感じます。いつもと違う行事が多いせいかと思いますがはっきりした原因はわかりません。
暮れから正月にかけては子供三夫婦と孫たちが計13名押し寄せ、四日まではその後始末に追われます。その合間をぬって寺をはじめとして3軒ほど御年始回りをします。
展覧会鑑賞にもいきました。まず書友・木附さんのほのぼのしたやすらぎ個展、三度も遊びに行ってしまいました。
上毛書道30人展では篆刻を出品した飯島さんの席上揮毫がありました。篆刻の性質からして難しい企画と思いましたが、刻す文字を揮毫し、刻した後、拓本に採って見せるという今までの席上揮毫には見られなかった内容のパフォーマンスでよい演出でした。瓦泥印を使った試みも新鮮味がありました。
「日本絹の里」特別展では”群馬の養蚕ことば”というテーマでギャラリートークがありました。講師は新井蘭雪さんでした。最近方言や言葉に関して新井さんがよく新聞紙上に登場します。いまや言語学や方言学のスペシャリストです。
新井さんのトークは、持ち前のソフトな滑舌で、とかく難しくなりがちな学問の世界を、トーク会場に合わせて自分の言葉と身近な体験を通して語りかけるのでとても解りやすく飽きさせません。
”蚕”に「お」や「さま」の敬語をつけるのは生計を支えてくれるものへの畏敬の念の現れであるということに留まらず、養蚕を生業とする人たちの生活の中に育まれた優しさが見られるという踏み込んだ表現は聞くものに当時の生活様式を連想させ、方言を学問として見るだけではない講師の人間性の豊かさが感じられます。私も母の実家が養蚕農家でもあったので当時、子供ながら母について手伝いに行った頃のことを思い出します。
月末には高崎シティギャラリーで開催された日中書画交流展を見てきました。これは高崎書道会と中国の標準草書学社の会員による合同展で、昨年の秋に南京で開催した作品を移動展という形をとって今回高崎で展示したものです。
両会とも于右任(うゆうじん)先生を師と仰ぐ書道団体で以前から深い友好関係を結んでいます。個性を前面に押し出すことに重点を置いた最近の中国書道の風潮を思わせる大胆な作品が、標準草書学社会員のなかにたくさん見られました。
于右任先生と故金沢先生の作品は傑出しておりしばし見とれてしまいました。
さて、今年度の前期昇格試験課題が発表になりました。詳細は聖筆誌2月号58ページに載っていますのでご覧ください。作品締め切りは5月10日です。塾としては5月6日の練習日を最終提出日とします。まとめて勉強できる機会ととらえて挑戦することを期待します。
ある学習塾の先生がこんなことを言っていました。
人間の脳は本来怠け者にできている。努力したり考えたりすることは嫌いでのんびりしているのが好き、と言うのです。面白いと思いました。ただし、目標を持つと俄然活性化して働きだす。勉強嫌いの子供も目標が決まってやり始めると三か月で変わっていくのが解ると言うのです。なるほどさようかと思った次第です。
暮れから正月にかけては子供三夫婦と孫たちが計13名押し寄せ、四日まではその後始末に追われます。その合間をぬって寺をはじめとして3軒ほど御年始回りをします。
展覧会鑑賞にもいきました。まず書友・木附さんのほのぼのしたやすらぎ個展、三度も遊びに行ってしまいました。
上毛書道30人展では篆刻を出品した飯島さんの席上揮毫がありました。篆刻の性質からして難しい企画と思いましたが、刻す文字を揮毫し、刻した後、拓本に採って見せるという今までの席上揮毫には見られなかった内容のパフォーマンスでよい演出でした。瓦泥印を使った試みも新鮮味がありました。
「日本絹の里」特別展では”群馬の養蚕ことば”というテーマでギャラリートークがありました。講師は新井蘭雪さんでした。最近方言や言葉に関して新井さんがよく新聞紙上に登場します。いまや言語学や方言学のスペシャリストです。
新井さんのトークは、持ち前のソフトな滑舌で、とかく難しくなりがちな学問の世界を、トーク会場に合わせて自分の言葉と身近な体験を通して語りかけるのでとても解りやすく飽きさせません。
”蚕”に「お」や「さま」の敬語をつけるのは生計を支えてくれるものへの畏敬の念の現れであるということに留まらず、養蚕を生業とする人たちの生活の中に育まれた優しさが見られるという踏み込んだ表現は聞くものに当時の生活様式を連想させ、方言を学問として見るだけではない講師の人間性の豊かさが感じられます。私も母の実家が養蚕農家でもあったので当時、子供ながら母について手伝いに行った頃のことを思い出します。
月末には高崎シティギャラリーで開催された日中書画交流展を見てきました。これは高崎書道会と中国の標準草書学社の会員による合同展で、昨年の秋に南京で開催した作品を移動展という形をとって今回高崎で展示したものです。
両会とも于右任(うゆうじん)先生を師と仰ぐ書道団体で以前から深い友好関係を結んでいます。個性を前面に押し出すことに重点を置いた最近の中国書道の風潮を思わせる大胆な作品が、標準草書学社会員のなかにたくさん見られました。
于右任先生と故金沢先生の作品は傑出しておりしばし見とれてしまいました。
さて、今年度の前期昇格試験課題が発表になりました。詳細は聖筆誌2月号58ページに載っていますのでご覧ください。作品締め切りは5月10日です。塾としては5月6日の練習日を最終提出日とします。まとめて勉強できる機会ととらえて挑戦することを期待します。
ある学習塾の先生がこんなことを言っていました。
人間の脳は本来怠け者にできている。努力したり考えたりすることは嫌いでのんびりしているのが好き、と言うのです。面白いと思いました。ただし、目標を持つと俄然活性化して働きだす。勉強嫌いの子供も目標が決まってやり始めると三か月で変わっていくのが解ると言うのです。なるほどさようかと思った次第です。
2017年1月10日火曜日
雅塾通信 第109号・・・一点の雲なき空へ大根干す(H29.1.1)
今年は西暦では2017年、元号では平成29年、干支でいえば丁酉と表記します。書の世界では落款を書くときの日付にはこの干支がよく使われます。
これは中国の習慣に根差したものです。十干と十二支を合わせて干支と言いますが、十干とは、殷の時代から行われていた日を数える方法で、甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸の10を指します。十二支はご存知の子、牛、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥の12でこれもまた同じ時代に一年12か月の名称として使われたのが起源で、十干と同様に1から12までの記号として用いられるようになりました。また、方位や時刻を表す呼称としても用いられたり年も表します。
十干と十二支を一つずつ組み合わせていくと60通りになりこれを60干支とも呼びます。
還暦というのは、数え年61歳の事で、十干と十二支の組み合わせにより61年目に元の干支に戻ることでこれを祝うことを還暦(華甲とも言う)の祝いと言います。
酉は動物では鶏が充てられていますが酉の字源は酒樽の形から来ていて酒に関する文字に扁や旁として使われており鶏とは直接関係がありません。
十二支が動物に充てられるようになったのは漢の時代です。これを十二支獣といいますが身近な動物が充てられていて親しみを感じるようになりました。確かに漢字で書かれた書作品には、落款に年号を記す場合、漢字で記入した方が収まりが良いように思います。
月の別称でよく使われるもので、孟春(一月)、仲春(二月)、季春(三月)という呼び方がありますが、落款に結構よく使われていますので覚えておくと便利です。
春 夏 秋 冬
孟 一月 四月 七月 十月
仲 二月 五月 八月 十一月
季 三月 六月 九月 十二月
四季の頭に孟、仲、季を付ければよいわけです。ただしこれは全て陰暦での呼び方です。
これは中国の習慣に根差したものです。十干と十二支を合わせて干支と言いますが、十干とは、殷の時代から行われていた日を数える方法で、甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸の10を指します。十二支はご存知の子、牛、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥の12でこれもまた同じ時代に一年12か月の名称として使われたのが起源で、十干と同様に1から12までの記号として用いられるようになりました。また、方位や時刻を表す呼称としても用いられたり年も表します。
十干と十二支を一つずつ組み合わせていくと60通りになりこれを60干支とも呼びます。
還暦というのは、数え年61歳の事で、十干と十二支の組み合わせにより61年目に元の干支に戻ることでこれを祝うことを還暦(華甲とも言う)の祝いと言います。
酉は動物では鶏が充てられていますが酉の字源は酒樽の形から来ていて酒に関する文字に扁や旁として使われており鶏とは直接関係がありません。
十二支が動物に充てられるようになったのは漢の時代です。これを十二支獣といいますが身近な動物が充てられていて親しみを感じるようになりました。確かに漢字で書かれた書作品には、落款に年号を記す場合、漢字で記入した方が収まりが良いように思います。
月の別称でよく使われるもので、孟春(一月)、仲春(二月)、季春(三月)という呼び方がありますが、落款に結構よく使われていますので覚えておくと便利です。
春 夏 秋 冬
孟 一月 四月 七月 十月
仲 二月 五月 八月 十一月
季 三月 六月 九月 十二月
四季の頭に孟、仲、季を付ければよいわけです。ただしこれは全て陰暦での呼び方です。
2016年12月27日火曜日
雅塾通信 第108号・・・夜祭りや 中学生の薄化粧(H28.12.1)
中国の書の歴史・・・その36
前回に引き続き明代の書家の紹介は董其昌(1555~1636)です。
華亭(江蘇省)の人。字は玄宰。思白・思翁・香光と号しました。17歳で書を志し、22歳で画、30歳前後で禅を学びこの3つの分野が彼の作品の基礎を形成したと言われています。35歳で進士になり、翰林院庶吉という高級役人になっています。
書は初めから顔真卿を学び、ついで虞世南を学んだが、唐代の書は魏・晋に及ばないと考え、王羲之や鐘繇の臨模に専念しました。
彼はのちに自分の書を古法・秀潤・卒意の妙において優れているといい、魏晋まではいかなくても、唐人には負けないと自負しています。
彼の言う良い書とは、主観を盛り上げて卒意のうちに醸成されるもので「天真爛漫」、つまり無作意の自然の境地から生まれるものだとしています。
この自信は弛まない古典の追求と禅を学んで得た思想の影響と考えられています。
前回に引き続き明代の書家の紹介は董其昌(1555~1636)です。
華亭(江蘇省)の人。字は玄宰。思白・思翁・香光と号しました。17歳で書を志し、22歳で画、30歳前後で禅を学びこの3つの分野が彼の作品の基礎を形成したと言われています。35歳で進士になり、翰林院庶吉という高級役人になっています。
書は初めから顔真卿を学び、ついで虞世南を学んだが、唐代の書は魏・晋に及ばないと考え、王羲之や鐘繇の臨模に専念しました。
彼はのちに自分の書を古法・秀潤・卒意の妙において優れているといい、魏晋まではいかなくても、唐人には負けないと自負しています。
彼の言う良い書とは、主観を盛り上げて卒意のうちに醸成されるもので「天真爛漫」、つまり無作意の自然の境地から生まれるものだとしています。
この自信は弛まない古典の追求と禅を学んで得た思想の影響と考えられています。
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