先月は晴れた日がほとんどありませんでした。9月上旬から始まった屋根のペンキ塗りがまだ終わりません。見積もり期間は8日間でしたのに。
このところ、と言ってもしばらく前からですが、朝早く目覚める事があります。3時が4時台です。早すぎますがやけに目もパッチリ頭はすっきりしているときもありもう寝付けそうにありません。
そんな時は起きてしまいます。
やらなければならない仕事があると早速取り掛かりますがそれが意外とはかどるのです。
8月下旬に、神奈川にいる同窓生から、記念誌を出したいから中学卒業後の60年間で、なにか心に残ることがあったら何でもいいから1000文字くらいにまとめて書いてくれないかと、依頼がありました。9月末までということで常にあたまの隅に引っかかっていたのですが、先日も夜中に目が覚め、時計を見ると2時40分でした。しばらく考えていましたが、「よしっ!」と起き、パソコンの前に座りました。あれやこれや行ったり来たりの作業でしたがなんとか1300文字くらいにまとまりました。時計を見ると6時15分、約3時間、朝飯前の仕事にしてはやりすぎたとは思いましたが気分は悪くありませんでした。
しかし、朝ははかどるからと言ってもこの作業は現役の人にはお勧めできません。なぜなら昼間眠くなります。これは眠くなったらいつでも横になれるフリーな人の楽しみ方です。
さて、人間の目は前を向いてついています。周りはよく見えます。しかし自分は良く見えません。自分を見るためについているのではないかもしれません。そのためか自分の事は意外とわかっていません。無意識のうちで分かったつもりでいるけれど意識して謙虚に自分を見つめなおさないと気が付かないことが多いのです。自戒しなければならないことです。
さて、書においても自分の欠点を見つけることは上達への大事なポイントです。誰にでも欠点があります。自分では気の付かないところもあります。ですからたくさんの作品を見、人に指摘してもらい、矯正していかなければなりません。
自分の欠点のあるところを気づかず、知ろうともせず、また知っていても不得手なところを見直すのは大変だからと妥協してしまいがちですが。学ぶものとしてこれも反省すべきところです。
中国の書の歴史・・・その35
引き続き明代の書家を紹介します。
(2)文徴明(ぶんちょうめい)(1470~1559)
長州(江蘇省)の人。初め壁と言ったが、祖父の諱を避けて字の徴明を名として、のちに字を徴仲と変えた。また祖父が衡山(湖南省)の人であったので、衡山と号した。かれの書道史上の功績は、晋、唐、宋、元、明人のものを集めて「停雲館法帖」を作ったことにある。その事業には二十年余年間を費やし、全12巻が完成したのは彼の死後であった。書学は、晋・唐の古法に学び、小楷は王羲之の<黄庭経><楽毅論>を基本にしている。
80歳を過ぎてからも傑作が多く<酔翁亭記><離騒経>はともに83歳の作品で明るく爽やかな作である。(参考、中京出版・書の基本資料)
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