中国の書の歴史・・・その36
前回に引き続き明代の書家の紹介は董其昌(1555~1636)です。
華亭(江蘇省)の人。字は玄宰。思白・思翁・香光と号しました。17歳で書を志し、22歳で画、30歳前後で禅を学びこの3つの分野が彼の作品の基礎を形成したと言われています。35歳で進士になり、翰林院庶吉という高級役人になっています。
書は初めから顔真卿を学び、ついで虞世南を学んだが、唐代の書は魏・晋に及ばないと考え、王羲之や鐘繇の臨模に専念しました。
彼はのちに自分の書を古法・秀潤・卒意の妙において優れているといい、魏晋まではいかなくても、唐人には負けないと自負しています。
彼の言う良い書とは、主観を盛り上げて卒意のうちに醸成されるもので「天真爛漫」、つまり無作意の自然の境地から生まれるものだとしています。
この自信は弛まない古典の追求と禅を学んで得た思想の影響と考えられています。
2016年12月27日火曜日
雅塾通信 第107号・・・寺々に 永代墓の建つ里の秋(H28.11.1)
このところ急速に秋の気配になりました。生活しやすい季節ですが風邪をひかないように注意が必要です。あわてて下着を替えました。お互いに気を付けましょう。
歳を取ると短期になる人が多いと言われます。私も高齢ですが幸い私の周りには穏やかな人が多いので日常の生活の中では余り腹の立つことはありません。テレビには怒鳴るときがありますが。。
ところが先日、ある公的機関の窓口で二三のやりとりをした後で「身分を証明できる免許証とかがあったらみせていただいてよろしいでしょうか」といわれ、そのイントネーションに思わず「いやだといったら」と口に出してしまいました。「決まっていることですから・・・」「選択肢がないのならよろしいでしょうかではないでしょう」と言ってから余分なことを言っちゃったなと思いました。
このところ「・・・・でよろしいでしょうか」ともったいぶった言葉で語りかける場面が気になっていたからかもしれません。
客観的にみればそのときの私は「短気な高齢者」になっていたのでしょうか。
客観的にと言えば白紙の領収書用紙をもらって自分で記入するなどと言うことがまかり通っている世界がありました。
パーティ券の領収書らしいが一般社会では考えられないこと、まして税金を使って仕事を人たちは一層の正確さが必要と思うのだが・・・「受付が混んでいるから用紙だけもらったのでなんら法的に違反ではない」と国会で答弁したのにはさらに驚きでした。
恒常化していたようですが、自分たちを客観的にみられない典型的な姿だと思います。自分は「えらい」と錯覚すると客観的に自分が見えなくなる、とはよく言われること、これを地位と人格が一致していないということなのでしょう。そういえば支持者に囲まれた政治家が失言(本音?)するのもその最たる例です。そのくせ言い訳だけはうまくなる。自分を正当化しようとの魂胆だから端から見ると見苦しい。さてこれをいざ自分に置き換えて、改めて自分のことは自分ではよくわからないと肝に銘じ、言い訳がましいことを言っていないか、を時々振り返ろうと思っています。
私が所属している中国書画篆刻研究会(今成清泉先生主宰)の第六回竹清書展が先月開催されました。出展作品の中には「蘭亭序」の臨書が二点ありました。その二点の書風が違うので見学者の中から疑問が出されていました。原本が異なっていたためです。どの原本を臨書したかによって書風が変わります。蘭亭序はご存知のように王羲之が書いたものです。ただし残念ながら直筆はありません。今あるのは臨書や写したものばかりです。その数は多すぎて解りません。その中の良いものが残って手本として出回っているのです。
よく目にするのが次の四本です。いずれも唐の三大家が書いたと言われています。
(1)蘭亭八柱第一本・・・これは虞世南臨本で別名張金界奴本と呼ばれています。
(2)蘭亭八柱第二本・・・褚遂良の臨書したものといわれています。
(3)蘭亭八柱第三本・・・馮承素がうつしたもので別名神龍半印本と呼ばれています。もとは褚遂良の臨書したものといわれています。
(4)定武本蘭亭序・・・欧陽訽の臨書したものを石に刻したものといわれています。
歳を取ると短期になる人が多いと言われます。私も高齢ですが幸い私の周りには穏やかな人が多いので日常の生活の中では余り腹の立つことはありません。テレビには怒鳴るときがありますが。。
ところが先日、ある公的機関の窓口で二三のやりとりをした後で「身分を証明できる免許証とかがあったらみせていただいてよろしいでしょうか」といわれ、そのイントネーションに思わず「いやだといったら」と口に出してしまいました。「決まっていることですから・・・」「選択肢がないのならよろしいでしょうかではないでしょう」と言ってから余分なことを言っちゃったなと思いました。
このところ「・・・・でよろしいでしょうか」ともったいぶった言葉で語りかける場面が気になっていたからかもしれません。
客観的にみればそのときの私は「短気な高齢者」になっていたのでしょうか。
客観的にと言えば白紙の領収書用紙をもらって自分で記入するなどと言うことがまかり通っている世界がありました。
パーティ券の領収書らしいが一般社会では考えられないこと、まして税金を使って仕事を人たちは一層の正確さが必要と思うのだが・・・「受付が混んでいるから用紙だけもらったのでなんら法的に違反ではない」と国会で答弁したのにはさらに驚きでした。
恒常化していたようですが、自分たちを客観的にみられない典型的な姿だと思います。自分は「えらい」と錯覚すると客観的に自分が見えなくなる、とはよく言われること、これを地位と人格が一致していないということなのでしょう。そういえば支持者に囲まれた政治家が失言(本音?)するのもその最たる例です。そのくせ言い訳だけはうまくなる。自分を正当化しようとの魂胆だから端から見ると見苦しい。さてこれをいざ自分に置き換えて、改めて自分のことは自分ではよくわからないと肝に銘じ、言い訳がましいことを言っていないか、を時々振り返ろうと思っています。
私が所属している中国書画篆刻研究会(今成清泉先生主宰)の第六回竹清書展が先月開催されました。出展作品の中には「蘭亭序」の臨書が二点ありました。その二点の書風が違うので見学者の中から疑問が出されていました。原本が異なっていたためです。どの原本を臨書したかによって書風が変わります。蘭亭序はご存知のように王羲之が書いたものです。ただし残念ながら直筆はありません。今あるのは臨書や写したものばかりです。その数は多すぎて解りません。その中の良いものが残って手本として出回っているのです。
よく目にするのが次の四本です。いずれも唐の三大家が書いたと言われています。
(1)蘭亭八柱第一本・・・これは虞世南臨本で別名張金界奴本と呼ばれています。
(2)蘭亭八柱第二本・・・褚遂良の臨書したものといわれています。
(3)蘭亭八柱第三本・・・馮承素がうつしたもので別名神龍半印本と呼ばれています。もとは褚遂良の臨書したものといわれています。
(4)定武本蘭亭序・・・欧陽訽の臨書したものを石に刻したものといわれています。
雅塾通信 第106号・・・大木に群れる小鳥のすいこまる(H28.10.1)
先月は晴れた日がほとんどありませんでした。9月上旬から始まった屋根のペンキ塗りがまだ終わりません。見積もり期間は8日間でしたのに。
このところ、と言ってもしばらく前からですが、朝早く目覚める事があります。3時が4時台です。早すぎますがやけに目もパッチリ頭はすっきりしているときもありもう寝付けそうにありません。
そんな時は起きてしまいます。
やらなければならない仕事があると早速取り掛かりますがそれが意外とはかどるのです。
8月下旬に、神奈川にいる同窓生から、記念誌を出したいから中学卒業後の60年間で、なにか心に残ることがあったら何でもいいから1000文字くらいにまとめて書いてくれないかと、依頼がありました。9月末までということで常にあたまの隅に引っかかっていたのですが、先日も夜中に目が覚め、時計を見ると2時40分でした。しばらく考えていましたが、「よしっ!」と起き、パソコンの前に座りました。あれやこれや行ったり来たりの作業でしたがなんとか1300文字くらいにまとまりました。時計を見ると6時15分、約3時間、朝飯前の仕事にしてはやりすぎたとは思いましたが気分は悪くありませんでした。
しかし、朝ははかどるからと言ってもこの作業は現役の人にはお勧めできません。なぜなら昼間眠くなります。これは眠くなったらいつでも横になれるフリーな人の楽しみ方です。
さて、人間の目は前を向いてついています。周りはよく見えます。しかし自分は良く見えません。自分を見るためについているのではないかもしれません。そのためか自分の事は意外とわかっていません。無意識のうちで分かったつもりでいるけれど意識して謙虚に自分を見つめなおさないと気が付かないことが多いのです。自戒しなければならないことです。
さて、書においても自分の欠点を見つけることは上達への大事なポイントです。誰にでも欠点があります。自分では気の付かないところもあります。ですからたくさんの作品を見、人に指摘してもらい、矯正していかなければなりません。
自分の欠点のあるところを気づかず、知ろうともせず、また知っていても不得手なところを見直すのは大変だからと妥協してしまいがちですが。学ぶものとしてこれも反省すべきところです。
中国の書の歴史・・・その35
引き続き明代の書家を紹介します。
(2)文徴明(ぶんちょうめい)(1470~1559)
長州(江蘇省)の人。初め壁と言ったが、祖父の諱を避けて字の徴明を名として、のちに字を徴仲と変えた。また祖父が衡山(湖南省)の人であったので、衡山と号した。かれの書道史上の功績は、晋、唐、宋、元、明人のものを集めて「停雲館法帖」を作ったことにある。その事業には二十年余年間を費やし、全12巻が完成したのは彼の死後であった。書学は、晋・唐の古法に学び、小楷は王羲之の<黄庭経><楽毅論>を基本にしている。
80歳を過ぎてからも傑作が多く<酔翁亭記><離騒経>はともに83歳の作品で明るく爽やかな作である。(参考、中京出版・書の基本資料)
このところ、と言ってもしばらく前からですが、朝早く目覚める事があります。3時が4時台です。早すぎますがやけに目もパッチリ頭はすっきりしているときもありもう寝付けそうにありません。
そんな時は起きてしまいます。
やらなければならない仕事があると早速取り掛かりますがそれが意外とはかどるのです。
8月下旬に、神奈川にいる同窓生から、記念誌を出したいから中学卒業後の60年間で、なにか心に残ることがあったら何でもいいから1000文字くらいにまとめて書いてくれないかと、依頼がありました。9月末までということで常にあたまの隅に引っかかっていたのですが、先日も夜中に目が覚め、時計を見ると2時40分でした。しばらく考えていましたが、「よしっ!」と起き、パソコンの前に座りました。あれやこれや行ったり来たりの作業でしたがなんとか1300文字くらいにまとまりました。時計を見ると6時15分、約3時間、朝飯前の仕事にしてはやりすぎたとは思いましたが気分は悪くありませんでした。
しかし、朝ははかどるからと言ってもこの作業は現役の人にはお勧めできません。なぜなら昼間眠くなります。これは眠くなったらいつでも横になれるフリーな人の楽しみ方です。
さて、人間の目は前を向いてついています。周りはよく見えます。しかし自分は良く見えません。自分を見るためについているのではないかもしれません。そのためか自分の事は意外とわかっていません。無意識のうちで分かったつもりでいるけれど意識して謙虚に自分を見つめなおさないと気が付かないことが多いのです。自戒しなければならないことです。
さて、書においても自分の欠点を見つけることは上達への大事なポイントです。誰にでも欠点があります。自分では気の付かないところもあります。ですからたくさんの作品を見、人に指摘してもらい、矯正していかなければなりません。
自分の欠点のあるところを気づかず、知ろうともせず、また知っていても不得手なところを見直すのは大変だからと妥協してしまいがちですが。学ぶものとしてこれも反省すべきところです。
中国の書の歴史・・・その35
引き続き明代の書家を紹介します。
(2)文徴明(ぶんちょうめい)(1470~1559)
長州(江蘇省)の人。初め壁と言ったが、祖父の諱を避けて字の徴明を名として、のちに字を徴仲と変えた。また祖父が衡山(湖南省)の人であったので、衡山と号した。かれの書道史上の功績は、晋、唐、宋、元、明人のものを集めて「停雲館法帖」を作ったことにある。その事業には二十年余年間を費やし、全12巻が完成したのは彼の死後であった。書学は、晋・唐の古法に学び、小楷は王羲之の<黄庭経><楽毅論>を基本にしている。
80歳を過ぎてからも傑作が多く<酔翁亭記><離騒経>はともに83歳の作品で明るく爽やかな作である。(参考、中京出版・書の基本資料)
2016年12月25日日曜日
雅塾通信 第105号・・・みどり児のはだしはやはり土がいい(H28.9.1)
8月は戦争を考える月、そして今年はオリンピックが加わりいつもの月よりテレビに時間を取られました。
世界から205か国、一万人を超えるアスリートが集まりました。
桑田真澄氏が講演で「プロ野球の選手になるのは東大生になるより難しい(だからといって決して偉いという意味ではなく)」と述べていましたがオリンピックでメダルを取るのはもっと難しい。全身全霊でメダルと取った瞬間、選手の心と体からの激震が見るものに伝わってきます。その表現が激しくても静かでも変わりません。見ている人に強烈に感動を与えてくれました。
何度もそんな場面を見せてもらい心がときめきました。
それにしても汗と涙でくしゃくしゃになったアスリートの顔がこんなに美しいとは・・・。
韓国と北朝鮮の選手が一緒に記念写真を撮っているシーンがテレビに映し出されていました。これに象徴される場面がいくつもありました。政治的に対立をしている国同士の選手たちが試合を終わって握手をしたり抱き合って称えあっている姿は同じ努力をしてきたものだけがわかりあえる連帯感でしょうか、スポーツマン精神でしょうか。国境はありません。これはスポーツに限らず音楽などあらゆる芸術活動の中で見られる光景です。
藤岡市書道協会主催による講習会「瓦泥印を作ろう」が会員を対象にして開かれました。藤岡瓦と同じ土を使って雅印を作るのです。藤岡瓦業界も屋根瓦を作るだけでなく見て楽しむ工芸品や、壁・床などに使用する建築材としての用途もあるようです。
わび・さびの世界でもある雅印がそれらのなかま入りができると楽しい。講師は「瓦泥印」生みの親でもあり命名者の飯島俊城先生でした。
中国の書の歴史・・・その34
明代の著名が書家を紹介します。
(1)祝允明(しゅくいんめい)(1460~1526)
長州(江蘇省)の裕福な読書人階級に生まれた。字は希哲。
生まれつき右手の指が人より一本余計にあり、きっと器用な人になるだろうということで枝指生・枝指山・枝山と号したという。書は幼少より習い、楷書は岳父の李応禎(りおうてい)に学び、行、草は外祖父の徐有貞(じょゆうてい)に学んだ。壮年になって古法帖の臨模に努め、魏の鐘繇の影響を多く受けている。からの小楷は穏やかで格調が高く明朝第一だと称されている。代表作のひとつに諸葛孔明の「出師表」を書いたものがある。
世界から205か国、一万人を超えるアスリートが集まりました。
桑田真澄氏が講演で「プロ野球の選手になるのは東大生になるより難しい(だからといって決して偉いという意味ではなく)」と述べていましたがオリンピックでメダルを取るのはもっと難しい。全身全霊でメダルと取った瞬間、選手の心と体からの激震が見るものに伝わってきます。その表現が激しくても静かでも変わりません。見ている人に強烈に感動を与えてくれました。
何度もそんな場面を見せてもらい心がときめきました。
それにしても汗と涙でくしゃくしゃになったアスリートの顔がこんなに美しいとは・・・。
韓国と北朝鮮の選手が一緒に記念写真を撮っているシーンがテレビに映し出されていました。これに象徴される場面がいくつもありました。政治的に対立をしている国同士の選手たちが試合を終わって握手をしたり抱き合って称えあっている姿は同じ努力をしてきたものだけがわかりあえる連帯感でしょうか、スポーツマン精神でしょうか。国境はありません。これはスポーツに限らず音楽などあらゆる芸術活動の中で見られる光景です。
藤岡市書道協会主催による講習会「瓦泥印を作ろう」が会員を対象にして開かれました。藤岡瓦と同じ土を使って雅印を作るのです。藤岡瓦業界も屋根瓦を作るだけでなく見て楽しむ工芸品や、壁・床などに使用する建築材としての用途もあるようです。
わび・さびの世界でもある雅印がそれらのなかま入りができると楽しい。講師は「瓦泥印」生みの親でもあり命名者の飯島俊城先生でした。
中国の書の歴史・・・その34
明代の著名が書家を紹介します。
(1)祝允明(しゅくいんめい)(1460~1526)
長州(江蘇省)の裕福な読書人階級に生まれた。字は希哲。
生まれつき右手の指が人より一本余計にあり、きっと器用な人になるだろうということで枝指生・枝指山・枝山と号したという。書は幼少より習い、楷書は岳父の李応禎(りおうてい)に学び、行、草は外祖父の徐有貞(じょゆうてい)に学んだ。壮年になって古法帖の臨模に努め、魏の鐘繇の影響を多く受けている。からの小楷は穏やかで格調が高く明朝第一だと称されている。代表作のひとつに諸葛孔明の「出師表」を書いたものがある。
雅塾通信 第104号・・・茄子ハウス 草一つなき広さかな(H28.8.1)
夏休みに」に入ると小学校の前、しかも通学路に面している我が家は本当に静かになってしまいます。朝7時半と午後4時の通学時間帯が音もなく過ぎ去ってしまいます。ちょっと寂しい気分です。
ところでまだ7月だというのに、ツクツクホーシがないています。以前はこの時期アブラゼミです。そしてミンミンが鳴いて、やがて8月下旬、そろそろ夏休みも終わりが近づいてきたころツクツクホーシが静かに鳴きだします。その声を聞いて、「それっ!宿題を終わらせなきゃ」と言うのが子供の頃の思い出です。
7月31日の日曜日、高崎駅東口にある居酒屋”魚民”にて墨盒書道展の反省会がもたれました。運営委員(雅支部からは菅生さん)に福島を加えての計10名が出席しました。
その席で第二回展を二年先の2018年(平成30年)6月に実施することに決まりました。
まだ、会場の申し込みはできてませんが希望としては高崎シティギャラリーで6月21日(木)搬入、会期同22日(金)~27日(水)まで、搬出は27日という予定を組まれました。
二回展に向けて会員のみなさまも一緒に作品のプログラム化をしてまいりましょう。
藤岡市主催で開かれた第58回夏期大学講座で、元巨人軍の桑田真澄氏の講演を聴いてきました。いままで私の彼に対する印象は、PL学園で甲子園に出場している頃から再三テレビでその顔を拝見していましたが、いつも伏し目がちで陰性っぽい人なのかなと見ていました。
会場のみかぼ未来館大ホールは超満員で講演に先立って挨拶した新井市長は「過去15年間の市長時代の講座で一番の盛況っぷり」とその人気ぶりに驚嘆の声をあげていました。
演題は「夢への挑戦、そして実現へ」でした。”桑田は話がうまいよ”とはうわさで聞いていました・・・でないようはまったく当たり前の事ばかり、難しいことばや理屈は一切なし。
例えば「物事には裏と表がある、その両立が必要」いわゆる攻撃と守り、学問とスポーツ、結果とプロセス、「挫折、失敗のすすめ」「短期集中、継続の大事さ」そこから生まれる「努力することの楽しさ」「自分らしさを大切にすれば力になる」、また大リーグの経験から「本物を見て、ふれること」の大切さなどなど、これらのテーマを自分の頭脳と野球人生を通しての経験などを踏まえて自分の言葉でゆっくりと、聞き取りやくす語りました。その思いやりが込められている声としぐさに1時間半、まばたきをする時間も惜しいくらい聞き入ってしまいました。好感度満点でした。
最後に氏は現在48歳だそうですが70代が一番多かったこの会場でおこがましいことを語った無礼を詫びつつこれからの自身の人生を「まだまだ苦難は続く」と締めくくっていました。
中国の書の歴史・・・その33
明代(1368~1644)に入ります。明代276年間は大きく三つに分けられます。
初期の書は元末の風をそのまま引き継いだあまり傑出した書家はいませんが、いわゆる三宋二沈(さんそうにしん)と呼ばれている宋璲(そうすい)、宋克(そうこく)、沈度(しんど)、沈○(しんさん)
などがあげられます。
中期になると王羲之系からあらゆる書法をとりいれた理知的で平明な書風が生まれました。蘇州を中心とする呉中派と呼ばれる書家たちです。代表的な人たちは沈周(しんしゅう)、李応楨(りおうてい)、呉寛(ごかん)、祝允明(しゅくいんめい)、唐寅(とういん)などです。
ところでまだ7月だというのに、ツクツクホーシがないています。以前はこの時期アブラゼミです。そしてミンミンが鳴いて、やがて8月下旬、そろそろ夏休みも終わりが近づいてきたころツクツクホーシが静かに鳴きだします。その声を聞いて、「それっ!宿題を終わらせなきゃ」と言うのが子供の頃の思い出です。
7月31日の日曜日、高崎駅東口にある居酒屋”魚民”にて墨盒書道展の反省会がもたれました。運営委員(雅支部からは菅生さん)に福島を加えての計10名が出席しました。
その席で第二回展を二年先の2018年(平成30年)6月に実施することに決まりました。
まだ、会場の申し込みはできてませんが希望としては高崎シティギャラリーで6月21日(木)搬入、会期同22日(金)~27日(水)まで、搬出は27日という予定を組まれました。
二回展に向けて会員のみなさまも一緒に作品のプログラム化をしてまいりましょう。
藤岡市主催で開かれた第58回夏期大学講座で、元巨人軍の桑田真澄氏の講演を聴いてきました。いままで私の彼に対する印象は、PL学園で甲子園に出場している頃から再三テレビでその顔を拝見していましたが、いつも伏し目がちで陰性っぽい人なのかなと見ていました。
会場のみかぼ未来館大ホールは超満員で講演に先立って挨拶した新井市長は「過去15年間の市長時代の講座で一番の盛況っぷり」とその人気ぶりに驚嘆の声をあげていました。
演題は「夢への挑戦、そして実現へ」でした。”桑田は話がうまいよ”とはうわさで聞いていました・・・でないようはまったく当たり前の事ばかり、難しいことばや理屈は一切なし。
例えば「物事には裏と表がある、その両立が必要」いわゆる攻撃と守り、学問とスポーツ、結果とプロセス、「挫折、失敗のすすめ」「短期集中、継続の大事さ」そこから生まれる「努力することの楽しさ」「自分らしさを大切にすれば力になる」、また大リーグの経験から「本物を見て、ふれること」の大切さなどなど、これらのテーマを自分の頭脳と野球人生を通しての経験などを踏まえて自分の言葉でゆっくりと、聞き取りやくす語りました。その思いやりが込められている声としぐさに1時間半、まばたきをする時間も惜しいくらい聞き入ってしまいました。好感度満点でした。
最後に氏は現在48歳だそうですが70代が一番多かったこの会場でおこがましいことを語った無礼を詫びつつこれからの自身の人生を「まだまだ苦難は続く」と締めくくっていました。
中国の書の歴史・・・その33
明代(1368~1644)に入ります。明代276年間は大きく三つに分けられます。
初期の書は元末の風をそのまま引き継いだあまり傑出した書家はいませんが、いわゆる三宋二沈(さんそうにしん)と呼ばれている宋璲(そうすい)、宋克(そうこく)、沈度(しんど)、沈○(しんさん)
などがあげられます。
中期になると王羲之系からあらゆる書法をとりいれた理知的で平明な書風が生まれました。蘇州を中心とする呉中派と呼ばれる書家たちです。代表的な人たちは沈周(しんしゅう)、李応楨(りおうてい)、呉寛(ごかん)、祝允明(しゅくいんめい)、唐寅(とういん)などです。
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