このところすっかり秋らしくなり過ごしやすくなっていますが相変わらず日本列島は自然災害に見舞われています。先週は強烈な台風24号、関東地方にも直撃されました。
夜中の襲来でしかも強風とあって我が家でも2回の南側にある雨戸のない窓がちょっと心配です。毎回の事ですが厚手の段ボールを窓の外に貼りつけて防護をし、玄関の外側には土嚢を六個ほど奈良部、鉢物を動かしたりしてささやかな対策をとりました。零時過ぎ、結構な雨音や風の音がしましたが翌朝はからりと晴れてこのあたりは大過なく過ぎ去ったようでほっとしました。
9月中旬今成清泉先生が主宰する中国書画篆刻研究会の書道展「竹清書展」が開催されました。隔年開催で今回は七回目です。
この展覧会の特徴は、単に会員の作品を見ていただくだけでなく書に関係ある資料を展示、解説するところです。
今回は王羲之の「蘭亭序」及び「集字聖教序」関連の資料でした。
今更ですが王羲之の直筆は残念ながら現在残っていません。私たちが目にするものは後世の人が書いた写しとその拓本だけです。「蘭亭序」は書の歴史の中での最高傑作です。書を学ぶものにとって避けて通れない古典です。そもそも「蘭亭序」とは何ぞや?・・・スタート時点に戻って考えてみましょう。
「蘭亭序」は南北朝時代の初期、東晋の貴族官僚であった王羲之(307~365ころ)が、宴会の席上で客人たちに作った詩を詩集としてまとめたものに寄せた序文のことです。
この宴会(曲水の宴)は当時の地方長官(県知事のようなもの)であった王羲之が永和九年(353)に主催した雅会で、40余名が出席したかなり盛大なものでした。曲がりくねった水の流れに面して席を置き、杯を浮かべて、その杯が流れてくるまでに即興の詩を作る、という風流な酒宴でした。
全文324字でその大意は「会稽山陰蘭亭地方に住んで、その美しい景色を観るにつけ、天地自然・宇宙の偉大さを感じるが、それに比べて人間はいかに弱いか、ちょっとした喜びや悲しみに左右され、死を心配する、はかないものだ。しかし古人は生も死も同じだと言ったが、まさに人間のそうした弱さ、時と共に変化する感情、生命のあり方が、むしろ人間が自然の生き物であることの証明でもあると思う。今ここに集めた詩集を後世の人たちが読んだら、きっとその事を読み取ってくれるだろう」
今回の竹清展にはこの雅宴の模様を刻した「蘭亭図巻」が出品されていました。縦32.8センチ、横548センチ、一目で雅宴の様子がわかります。記憶に残っている方もいると思いますが、2013年に東博で開催された王羲之展に五島美術館蔵、東博蔵の「蘭亭図巻」が出品されていました。
さて、伝説によれば「蘭亭序」の価値を見出したのは唐の太宗皇帝です。太宗は王羲之の書に魅せられ、特にこの「蘭亭序」には思い入れが強かったようです。唐の三大家、欧陽詢・虞世南・褚遂良に臨書させ、それを石に刻させて拓本を取り、書の手本として普及させました。
竹清展ではその拓本の取られた時代、種類ごとに展示をし、普段見られない原拓本など貴重なものを一同に展示し比較対照することによって拓本の見方、手本としての選び方などが学べるように企画してありました。
2018年10月22日月曜日
雅書道塾通信 第128号・・・書家でない作家の書論夜涼し(H30.9.1)
9月4日、25年ぶりという強い台風21号が四国・関西方面に甚大な被害をもたらしました。最大風速44メートル以上(関空では51.1メートルを記録)の自然の威力の恐ろしさは、スクラップ置き場のようになった駐車場、倒壊した家屋・電柱など破壊された町並みなどを見ると想像を絶します。死者は11人、けが人は460人(9月5日現在)と報道されています。
このショックが冷めやらぬ6日の朝、テレビをつけると、今朝の未明に北海道を襲った震度7の地震報道、道路沿いの山が数百メートルにわたって崩れ、赤茶けた山肌がむき出しになってその下に民家がつぶれたり埋まってしまったでろうと予想される映像が映し出されました。思わず「エーッ!なんでー!」と声が出てしまいました。まだまだ実態があきらかになってませんが、9月6日現在死者5名、心肺停止4名、行方不明者31名と報道されています。北から南まで日本列島なんということか・・・。
被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
8月9日墨盒書道展の反省会が運営委員を中心に行われました。
委員長より会期中の概要が報告され、続いて会計担当より会計報告、二年後の第三回展を開催することとなり運営委員長は松本凞盦さん続投と全員一致、拍手で了承されました。ちなみに今回は6日間で見に来てくれた方は609名でした。
反省会の中で出されて主なる意見を要約します。
1.作品集がだいぶ残ってしまったが次回からは鑑賞者にもっと多く配布するようにする。
2.会場が出品作品に比べて狭かったような気がする。これについては来年の第一回運営委員会(4月に予定)のなかで出品点数を把握してから検討することにする。
3.名票の表記について
訓読(読み)、訳文(大意)を記入する。
4.終了時間を18時から17時に短縮したらどうか。
この時間帯入場者は減るが多忙な人がやりくりして来る時間でもある、検討事項とする。
5.会場内は原則、飲食は禁止であるがお茶を出した事例があった。禁止にした方がよいと思う。禁止の方向で検討する。
以上、雑ぱくな反省会の報告ですが引き続き展に関する会員の皆さんからのご意見をお寄せください。
このショックが冷めやらぬ6日の朝、テレビをつけると、今朝の未明に北海道を襲った震度7の地震報道、道路沿いの山が数百メートルにわたって崩れ、赤茶けた山肌がむき出しになってその下に民家がつぶれたり埋まってしまったでろうと予想される映像が映し出されました。思わず「エーッ!なんでー!」と声が出てしまいました。まだまだ実態があきらかになってませんが、9月6日現在死者5名、心肺停止4名、行方不明者31名と報道されています。北から南まで日本列島なんということか・・・。
被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
8月9日墨盒書道展の反省会が運営委員を中心に行われました。
委員長より会期中の概要が報告され、続いて会計担当より会計報告、二年後の第三回展を開催することとなり運営委員長は松本凞盦さん続投と全員一致、拍手で了承されました。ちなみに今回は6日間で見に来てくれた方は609名でした。
反省会の中で出されて主なる意見を要約します。
1.作品集がだいぶ残ってしまったが次回からは鑑賞者にもっと多く配布するようにする。
2.会場が出品作品に比べて狭かったような気がする。これについては来年の第一回運営委員会(4月に予定)のなかで出品点数を把握してから検討することにする。
3.名票の表記について
訓読(読み)、訳文(大意)を記入する。
4.終了時間を18時から17時に短縮したらどうか。
この時間帯入場者は減るが多忙な人がやりくりして来る時間でもある、検討事項とする。
5.会場内は原則、飲食は禁止であるがお茶を出した事例があった。禁止にした方がよいと思う。禁止の方向で検討する。
以上、雑ぱくな反省会の報告ですが引き続き展に関する会員の皆さんからのご意見をお寄せください。
雅書道塾通信 第127号・・・夏山の頂き立つ孫の顔(H30.8.1)
今年の夏はほんとに暑い、ついに7月23日には熊谷で41・1度の新記録をマークしました。以前中国旅行でトルファンに行ったときに市街地から東へ50キロ程いった砂漠の火焔山(孫悟空が火焔大魔王と戦った所=昔読んだ漫画西遊記から)と言うところがありましたが、そこの気温が43度でした。周囲の山々は赤茶色に焦げたような色で草木は1本も生えていません。
ちょっとマイクロバスから降りてみようということになりましたがガイドさんから「肌は出さないでください」といわれ手拭いを被って降りました。それでもわずかに出ている顔、腕の肌に直射日光が当たるとびりびりちくちくと刺さるような痛みを感じ何とも言えぬ怖さを感じました。長くさらしているとやけどをすると言われそそくさとバスに戻りました。今回の熊谷の新記録はその気温に近づいていました。命にかかわる暑さ、災害の範疇だというのもうなずけます。
7月下旬に高崎シティギャラリーで良寛展が開かれていました。が残念ながら所用で見に行けませんでした。もっとも良寛さんの字は直筆を含めて何度か拝見しています。最初は現職の頃、職場の旅行で見に行きました。続いて新潟の弟の案内で良寛記念館へ、そして藤岡市書道協会の研修旅行で2度、2度目は良寛の終の棲家となった木村家に寄せて貰い当主木村氏の話を伺いながら六曲一双屏風作品を始め浴びるほどの作品を拝見さえていただきました。
良寛さんを簡介すると、1758年新潟県出雲崎の名主山本家の長男として生まれています。18歳の時名主見習いとなり父の仕事を助けています。しかし複雑な家庭事情があったようですが性格的に名主には向かないと考えたのか弟に家督を継ぎ22歳の時得度を受け備中高島(現倉敷市)円通寺で禅の修行に入りました。
34歳の時恩師国仙和尚が亡くなり、諸国行脚の旅に出ました。それから約5年、木曽路、善行寺、北陸道を経て故郷出雲崎に帰ってきます。40歳で五合庵に住み始めます。このころから各地の名士たちが五合庵に集まり歌会など開いたり、既に亡き父次郎左衛門(俳号以南)の追善句集など刊行しています。45歳の時、国上寺の住職が退隠して五合庵に入ることになり良寛さんは国上や野積の寺を住居としながらも五合庵で歌会などは続けています。その後退隠した住職がなくなり良寛さんが再び五合庵に住むことになります。47歳でした。
52歳のとき、江戸に住んでいた儒学者亀田鵬齋が五合庵を訪れ良寛の草書作品を嘆賞したと記録されています。ちなみに亀田鵬齋は書にも堪能で揮毫した碑が全国に45基もあるそうです。都内には16基ありますが泉岳寺にある「赤穂四十七義士碑」が有名です。鵬齋は良寛に会って書風がすっかり変わったという話がありますが実際「良寛に会って草書の妙を知った。良寛を学んで自分の書の風格ができた」と語ったそうです。鵬齋は良寛より6歳ほど下ですがその後も詩、画賛などで交流を続けていました。
良寛さんは1831年に親しい人たちに見守られながら木村家で永眠、享年74歳でした。
さて、一番関心のある良寛さんの字についてですが、以前「この字は上手なの?」とか「鑑賞する字で習うものではない」などの言葉を聞いたことがあります。とても自分には批評などできませんが感じるところはその線の質と作品の明るさです。深く理解するには良寛さんの生き方まで及ばなければなりません。学ぶにはまず懐素の千字文から臨書を始めてみるのが良いでしょう。
7月下旬に高崎シティギャラリーで良寛展が開かれていました。が残念ながら所用で見に行けませんでした。もっとも良寛さんの字は直筆を含めて何度か拝見しています。最初は現職の頃、職場の旅行で見に行きました。続いて新潟の弟の案内で良寛記念館へ、そして藤岡市書道協会の研修旅行で2度、2度目は良寛の終の棲家となった木村家に寄せて貰い当主木村氏の話を伺いながら六曲一双屏風作品を始め浴びるほどの作品を拝見さえていただきました。
良寛さんを簡介すると、1758年新潟県出雲崎の名主山本家の長男として生まれています。18歳の時名主見習いとなり父の仕事を助けています。しかし複雑な家庭事情があったようですが性格的に名主には向かないと考えたのか弟に家督を継ぎ22歳の時得度を受け備中高島(現倉敷市)円通寺で禅の修行に入りました。
34歳の時恩師国仙和尚が亡くなり、諸国行脚の旅に出ました。それから約5年、木曽路、善行寺、北陸道を経て故郷出雲崎に帰ってきます。40歳で五合庵に住み始めます。このころから各地の名士たちが五合庵に集まり歌会など開いたり、既に亡き父次郎左衛門(俳号以南)の追善句集など刊行しています。45歳の時、国上寺の住職が退隠して五合庵に入ることになり良寛さんは国上や野積の寺を住居としながらも五合庵で歌会などは続けています。その後退隠した住職がなくなり良寛さんが再び五合庵に住むことになります。47歳でした。
52歳のとき、江戸に住んでいた儒学者亀田鵬齋が五合庵を訪れ良寛の草書作品を嘆賞したと記録されています。ちなみに亀田鵬齋は書にも堪能で揮毫した碑が全国に45基もあるそうです。都内には16基ありますが泉岳寺にある「赤穂四十七義士碑」が有名です。鵬齋は良寛に会って書風がすっかり変わったという話がありますが実際「良寛に会って草書の妙を知った。良寛を学んで自分の書の風格ができた」と語ったそうです。鵬齋は良寛より6歳ほど下ですがその後も詩、画賛などで交流を続けていました。
良寛さんは1831年に親しい人たちに見守られながら木村家で永眠、享年74歳でした。
さて、一番関心のある良寛さんの字についてですが、以前「この字は上手なの?」とか「鑑賞する字で習うものではない」などの言葉を聞いたことがあります。とても自分には批評などできませんが感じるところはその線の質と作品の明るさです。深く理解するには良寛さんの生き方まで及ばなければなりません。学ぶにはまず懐素の千字文から臨書を始めてみるのが良いでしょう。
2018年8月26日日曜日
雅書道塾通信 第126号・・・各紙とも米朝会談つゆ晴れ間(H30.7.1)
6月のビックニュースはなんと言っても米朝会談でしょう。トランプ大統領は「北朝鮮の体制を保証」、正恩委員長は「朝鮮半島の完全非核化」を約束しました。
具体的な交渉、取り組みはこれからでしょうが、トップ同士の会談で合意したのだから大きな歴史的前進です。昨年の今頃はミサイルが飛んで来たら・・・と心配していたのですから喜ぶべきことです。外交努力の大切さ、話し合いの大事さを改めて感じます。
5日から降り出した大雨が九州、四国を始め西日本に甚大な被害をもたらしています。新聞テレビでの報道を見る度にその災害規模と人的被害に胸が痛む思いです。日本列島は今、地震を始め自然災害がどこで起きても不思議ではない地球規模の環境にさらされています。
「国を守る、国民を守る」と言う言葉が時として使われますが、「守る」とはどうゆうことか考えさせられます。逃げることも大事ですが。
第2回の墨盒書道展が終了しました。
振り返ってみれば今回は小中学生も出品させたいと思っていましたのでその表装を考え出したのがちょうど1年前でした。一般の作品と見劣りのしないものしかも廉価なものと選んだのが今回の作品でした。過去雅支部展でも小中学生の作品の表装はいろいろと試行錯誤しましたが、今回はいかがでしたでしょうか。
会員の皆さんも日々忙しい中作品作りにはご苦労があったことと思います。また運営委員として6度の会議を始め準備を進めてくれた雅支部代表の菅生さんにはお世話になりました。そしてご苦労様でした。
この展覧会の素晴らしさは運営委員の皆さんが会議の中で展の目的、方向性を導き出し合議の上で進めていくことです。会員のつながりを大切にしてより良い作品の向上をめざして練磨し、それを発表し見に来てくれた人々に感謝をしつつ共に喜びを分かち合うことを目的としています。出品をした会員が自分の作品の前で「恥ずかしい、次はもっと頑張ろう」と話している声を何人も聞きました。この姿勢がある限り展覧会の内容は向上してくだろうと確信しました。
三回展の開催について近々開かれる二回展の反省会において実施の方向で決められると思います。何を書くか早めに検討をして余裕をもって準備を進めることが良い作品を作り、楽しく展覧会を迎えらる鍵ですから早めに構想を練りましょう。
展覧会のエピソード
展覧会三日目の午前中、年配の男性が会場に入ってきて作品の前に立つなり「絵画や音楽からは訴えかけてくるものが感じられるが書からはそれが感じられない」とおっしゃいました。絵画や音楽から訴えかけてくるものが感じられる人なのだからこれはハイレベルの質問者と緊張して近づいていき「そうですねぇ。いろんな見方がありましてね。詩文を読むもよし、楷書作品なら形の美しさ、行草書の作品であれば全体の構成、篆書や隷書などは形・造形性の面白さ、かななどは特に連綿とか散らし方、用紙なども鑑賞の対象になると思います。すべてに共通しているのが線の強さ、響きのようなものでそれを感じていただければありがたいですね」と言うようなことを話しました。
ときたまうなずいてはくれましたが一言も発せずに会場を後にしたのでなにを感じてくれたかは不明です。書作品の鑑賞は確かに難しい、しかしどんな分野にも云えることは見る人の理解度によって作品から感じるものは決まってしまいます。
私自身残念に思うのは展覧会を見に行っても漢字作品の詩文は読もうと思いますがほとんど読み切れません。何が書かれているか知りたいのにです。
そうなるともうほかの部分を鑑賞するきりです。それでもたくさんの作品を見る機会は多い方が良いのでよく出かけます。今更ですが一生勉強だなと思って。
具体的な交渉、取り組みはこれからでしょうが、トップ同士の会談で合意したのだから大きな歴史的前進です。昨年の今頃はミサイルが飛んで来たら・・・と心配していたのですから喜ぶべきことです。外交努力の大切さ、話し合いの大事さを改めて感じます。
5日から降り出した大雨が九州、四国を始め西日本に甚大な被害をもたらしています。新聞テレビでの報道を見る度にその災害規模と人的被害に胸が痛む思いです。日本列島は今、地震を始め自然災害がどこで起きても不思議ではない地球規模の環境にさらされています。
「国を守る、国民を守る」と言う言葉が時として使われますが、「守る」とはどうゆうことか考えさせられます。逃げることも大事ですが。
第2回の墨盒書道展が終了しました。
振り返ってみれば今回は小中学生も出品させたいと思っていましたのでその表装を考え出したのがちょうど1年前でした。一般の作品と見劣りのしないものしかも廉価なものと選んだのが今回の作品でした。過去雅支部展でも小中学生の作品の表装はいろいろと試行錯誤しましたが、今回はいかがでしたでしょうか。
会員の皆さんも日々忙しい中作品作りにはご苦労があったことと思います。また運営委員として6度の会議を始め準備を進めてくれた雅支部代表の菅生さんにはお世話になりました。そしてご苦労様でした。
この展覧会の素晴らしさは運営委員の皆さんが会議の中で展の目的、方向性を導き出し合議の上で進めていくことです。会員のつながりを大切にしてより良い作品の向上をめざして練磨し、それを発表し見に来てくれた人々に感謝をしつつ共に喜びを分かち合うことを目的としています。出品をした会員が自分の作品の前で「恥ずかしい、次はもっと頑張ろう」と話している声を何人も聞きました。この姿勢がある限り展覧会の内容は向上してくだろうと確信しました。
三回展の開催について近々開かれる二回展の反省会において実施の方向で決められると思います。何を書くか早めに検討をして余裕をもって準備を進めることが良い作品を作り、楽しく展覧会を迎えらる鍵ですから早めに構想を練りましょう。
展覧会のエピソード
展覧会三日目の午前中、年配の男性が会場に入ってきて作品の前に立つなり「絵画や音楽からは訴えかけてくるものが感じられるが書からはそれが感じられない」とおっしゃいました。絵画や音楽から訴えかけてくるものが感じられる人なのだからこれはハイレベルの質問者と緊張して近づいていき「そうですねぇ。いろんな見方がありましてね。詩文を読むもよし、楷書作品なら形の美しさ、行草書の作品であれば全体の構成、篆書や隷書などは形・造形性の面白さ、かななどは特に連綿とか散らし方、用紙なども鑑賞の対象になると思います。すべてに共通しているのが線の強さ、響きのようなものでそれを感じていただければありがたいですね」と言うようなことを話しました。
ときたまうなずいてはくれましたが一言も発せずに会場を後にしたのでなにを感じてくれたかは不明です。書作品の鑑賞は確かに難しい、しかしどんな分野にも云えることは見る人の理解度によって作品から感じるものは決まってしまいます。
私自身残念に思うのは展覧会を見に行っても漢字作品の詩文は読もうと思いますがほとんど読み切れません。何が書かれているか知りたいのにです。
そうなるともうほかの部分を鑑賞するきりです。それでもたくさんの作品を見る機会は多い方が良いのでよく出かけます。今更ですが一生勉強だなと思って。
2018年7月1日日曜日
雅書道塾通信 第125号・・・ベンチから孫を追う目や子供の日(H30.6.1)
朝の洗面所の水が寝ぼけ眼に心地よい刺激を与えてくれます。冷暖房不要、よい季節になりました。先月は自分にとっては珍しい展覧会を拝見しました。ららん藤岡の交流館で開かれていた絵画のコレクション展です。
コレクターは秋山功氏という方で私の書友の弟さんです。氏自身も十代の頃は画家を目指していて20歳の時には個展まで開催しています。しかし種々の事情で画かを断念し、サラリーマンになりましたが、美へのあこがれが強く三十代になってから収集家の道に入ったと語っていました。
平成24年、60歳の時に退職と還暦を記念して第1回のコレクション展を開き今回が二回目だそうです。当時すでに400点以上の作品を集めていたといいますから現在は何点ぐらいあるのでしょう。今回はその中から50点くらい展示されていました。
残念ながら知識がないため殆どの画家は知らない人ばかりでしたが氏自身展示の目的を「才能に恵まれ優れた作品を生み出しながら世の中に埋もれてしまった作家や、現代でも正当な評価を得られずにいる心ある作家たちがいる。そんな作家たちの作品を見ているとまたその心情を思うとき、一人でも良いからその作品の真価を世の多くの人たちに伝えたい、また知らせる義務があるのではないかと言う思いに駆られる」と述べています。
感心しました。そして展示作品の中に私が以前、似顔絵を描いてもらった中村民夫画伯の自画像作品が二点あり、秋山氏の中村画伯に対する評価も高かったことに満足しました。次回展が楽しみです。
コレクターは秋山功氏という方で私の書友の弟さんです。氏自身も十代の頃は画家を目指していて20歳の時には個展まで開催しています。しかし種々の事情で画かを断念し、サラリーマンになりましたが、美へのあこがれが強く三十代になってから収集家の道に入ったと語っていました。
平成24年、60歳の時に退職と還暦を記念して第1回のコレクション展を開き今回が二回目だそうです。当時すでに400点以上の作品を集めていたといいますから現在は何点ぐらいあるのでしょう。今回はその中から50点くらい展示されていました。
残念ながら知識がないため殆どの画家は知らない人ばかりでしたが氏自身展示の目的を「才能に恵まれ優れた作品を生み出しながら世の中に埋もれてしまった作家や、現代でも正当な評価を得られずにいる心ある作家たちがいる。そんな作家たちの作品を見ているとまたその心情を思うとき、一人でも良いからその作品の真価を世の多くの人たちに伝えたい、また知らせる義務があるのではないかと言う思いに駆られる」と述べています。
感心しました。そして展示作品の中に私が以前、似顔絵を描いてもらった中村民夫画伯の自画像作品が二点あり、秋山氏の中村画伯に対する評価も高かったことに満足しました。次回展が楽しみです。
雅書道塾通信 第124号・・・順追って 狭くなる庭 木の芽どき(H30.5.1)
我が家の狭い庭にもこの季節は、水仙、チューリップ、大根花、紫木蓮、ぼけ、パンジー、庭桜など色とりどりの花が一斉に咲き誇り見とれてしまいます。でもそれもつかの間、たちまちしぼんだり土の上に散らばった花弁を見ると、「早すぎるよ!」ともったいなさと無常を感じます。が続いて木々に青々とした新芽が出てくると又気持ちが明るくなります。毎年こんな気分の繰り返しです。
4月8日、墨盒書道展作品集の写真撮りが藤岡学習センター204号室で行われました。松本運営委員長を始めとして10名の運営委員、2人のお手伝いと総勢12名のスタッフが集合しました。9時から作業手順の打ち合わせをした後、二台のカメラ、作品セット板の設置、表装された作品80本が一般部、学生部と50音順にテーブルの上に並べられ準備が整いました。と言えば簡単そうですが、作品を下げるフックなど付けられない室ですから明るさのちょうどよい場所にセット板を水平にしっかりと固定するのに結構工夫が必要でした。撮影を始めたのが10時少し前、箱から作品を出す人、踏み台を使って作品を下げる人、微調整する人、三脚にセットされたカメラを作品の中心に合わせて慎重にシャッターを切る人、チェックする人、終わった作品を巻き上げて箱にしまう人等々、表装された作品は折じわなど付けないように声を掛け合ってみんなそれはそれは丁寧に慎重に作業が進められました。
午後になり太陽の動きに応じて照明器具などもセットされプロ並み、約1時間の昼食をはさんですべて終了したのは午後3時20分ごろでした。その後、もぐもぐタイムを取りながらお互いに労をねぎらい合って予定していた4時に散会となりました。作品集の完成が楽しみです。スタッフの皆さん本当にご苦労様でした。
藤岡市遺族の会が平成21年から市内の小中学生を対象に「戦争と平和」についての作文・感想文コンクールを行っています。会員の方が毎年その作品集を見せてくれます。
小学生(4年以上)287名、中学生706名と多くの子供たちが出品しています。その中から小中それぞれ6名ずつが選ばれて計12名の作文で文集は作られています。
戦争体験者が減っていく中、子供たちは祖父母や親から聞いた話、本やネット、テレビなどのメディアから集めた情報、実際に博物館や戦地後を訪れたりして調べたり等々、様々な工夫をこらして学んだ様子が伺えます。
そして今の平和が言い知れぬ犠牲の上に成り立っていること、絶対に戦争はおこしてはならないことを言う文が圧倒的です。「なんで戦争がいなや人が悪者扱いをされ、戦争を好んだ人が英雄になるのか不思議」「戦争で人を殺してもなぜ罪にならないのか」「そもそもなんで戦争はおきるのか」と子供らしいが厳しく真理をついた作文も印象的でした。
北朝鮮問題を取り上げ将来日本が戦争に巻き込まれる可能性を危惧した作文もあります。すでに子供たちも今の日本の状態を心配しています。しかしいかなる理由があっても戦争は絶対に繰り返してはいけないと訴えています。
水面下でどんな交渉があったのか知るすべもありませんが今北朝鮮問題は武力から対話の段階に入ってきました。喜ばしいことです。
4月8日、墨盒書道展作品集の写真撮りが藤岡学習センター204号室で行われました。松本運営委員長を始めとして10名の運営委員、2人のお手伝いと総勢12名のスタッフが集合しました。9時から作業手順の打ち合わせをした後、二台のカメラ、作品セット板の設置、表装された作品80本が一般部、学生部と50音順にテーブルの上に並べられ準備が整いました。と言えば簡単そうですが、作品を下げるフックなど付けられない室ですから明るさのちょうどよい場所にセット板を水平にしっかりと固定するのに結構工夫が必要でした。撮影を始めたのが10時少し前、箱から作品を出す人、踏み台を使って作品を下げる人、微調整する人、三脚にセットされたカメラを作品の中心に合わせて慎重にシャッターを切る人、チェックする人、終わった作品を巻き上げて箱にしまう人等々、表装された作品は折じわなど付けないように声を掛け合ってみんなそれはそれは丁寧に慎重に作業が進められました。
午後になり太陽の動きに応じて照明器具などもセットされプロ並み、約1時間の昼食をはさんですべて終了したのは午後3時20分ごろでした。その後、もぐもぐタイムを取りながらお互いに労をねぎらい合って予定していた4時に散会となりました。作品集の完成が楽しみです。スタッフの皆さん本当にご苦労様でした。
藤岡市遺族の会が平成21年から市内の小中学生を対象に「戦争と平和」についての作文・感想文コンクールを行っています。会員の方が毎年その作品集を見せてくれます。
小学生(4年以上)287名、中学生706名と多くの子供たちが出品しています。その中から小中それぞれ6名ずつが選ばれて計12名の作文で文集は作られています。
戦争体験者が減っていく中、子供たちは祖父母や親から聞いた話、本やネット、テレビなどのメディアから集めた情報、実際に博物館や戦地後を訪れたりして調べたり等々、様々な工夫をこらして学んだ様子が伺えます。
そして今の平和が言い知れぬ犠牲の上に成り立っていること、絶対に戦争はおこしてはならないことを言う文が圧倒的です。「なんで戦争がいなや人が悪者扱いをされ、戦争を好んだ人が英雄になるのか不思議」「戦争で人を殺してもなぜ罪にならないのか」「そもそもなんで戦争はおきるのか」と子供らしいが厳しく真理をついた作文も印象的でした。
北朝鮮問題を取り上げ将来日本が戦争に巻き込まれる可能性を危惧した作文もあります。すでに子供たちも今の日本の状態を心配しています。しかしいかなる理由があっても戦争は絶対に繰り返してはいけないと訴えています。
水面下でどんな交渉があったのか知るすべもありませんが今北朝鮮問題は武力から対話の段階に入ってきました。喜ばしいことです。
2018年5月26日土曜日
雅書道塾通信 第122号・・・水道に ちゃんちゃんこ着せ 今日終わる(H30.3.1)
どんど焼きが有志の皆さんによって緑埜に復活してから今年で7年目になります。
子供の頃、準備のために竹や材木などを上級生の指示のもと運んだこと、指が凍えて痛かった事など思い出します。今は櫓を造る作業は大人の有志の皆さんがやってくれます。前日には餅つき・まゆだま作りがありますがこれも又近隣の奥様方が協力しています。ここには子供たちも参加していますが20人以上集まるそうです。
当日は7時半から火付けの開始です。5~6人の子供たちにたいまつを持たせて着火ですが普段火を使う習慣が無くなったせいか怖がって尻込みをする子が多いのには驚きです。
神棚に飾ってあった松飾り・お札など燃やしてくれるのと年末に剪定した庭木などを事前に運んでおくと櫓の一部として焼いてくれるので助かります。
ちなみに書き初めの紙を燃やして紙が高く舞い上がると習字が上手になり、勉強もできるようになると聞いたことがあります。日本全国に伝わるお正月の火祭りだそうですが続けて欲しい行事です。
1月21日TBSテレビの「情熱大陸」という番組で、当塾でもよく利用している宝研堂の四代目店主青柳貴史氏が製硯師として紹介されてました。
硯作りの大変さは想像出来ますが、平成10年に中国安徽省の歙州硯産地を見学したときには心が重くなるほどその現実を見せつけられました。
原石の発掘から選別、裁断・洗滌、作硯とすべて手作業が中心で、硬く重いものが相手だけに一面作り上げるまでにどれだけの労力と時間がかけられているか、現場で働いていた人たちの表情とともに思い出されました。
青柳氏は当然のことながら日本全国の採掘現場を訪問しているようですが、昨年の九月に藤岡市書道協会の研修旅行で雨畑硯の作硯場を見学しましたが、その時行けなかった原石採掘現場、御留山まで今回放映され、奇しくもその抗が見られたのは収穫でした。
更に、過去には産出されてなかった北海道にも硯石に適した石が見つかったと氏が紹介していたのは今後の楽しみになります。
2018年4月15日日曜日
雅書道塾通信 第123号・・・孫卒業 ハガキに託すメッセージ(H30.4.1)
早朝、週2回、自宅から200mほど離れたごみの収集所に可燃ごみを出しに、ついでに少し遠回りをして散歩をしています。つい最近まで、刺すような空気の中、すっきりと全貌を見せていた赤城山がこのところ春霞に覆われ全く見えなくなりました。春真っただ中です。
冬季オリンピック、パラリンピックもリアルタイムで味わうことができ日本選手の活躍に何度も感動に浸りました。レース以外で気にとまったのが、メダリストに対するインタビューの答えの中に周囲に対する感謝の言葉が今回非常に多いと感じたことです。大事なことだとは思いますがオリンピック終了時に伊調問題が表面化し人間の心のあり方は難しいものだと思いました。
又、オリンピック効果と言ってよいのでしょうか、北朝鮮の外交政策が一変しました。いずれにしてもトップ同士の会談で山積みの問題を平和的に解決してくれることを単純に切望します。
藤岡市民展が終了しました。今回は当塾からは無鑑査の紫玉さんと一般公募の三葉さんと、雙葉が出品しました、三葉さんが優秀賞に選ばれました。励みとして更なる精進を期待します。
今年は藤岡市書道協会の40周年にあたります。記念展が6月1日~3日までららん藤岡の花の交流館で開催されます。60点あまりが展示されます。当塾から紫玉さん、三葉さん、雙葉の3名が出品します。
墨盒書道展の作品も表具まですべて完了しました。8日の写真撮りを待つのみです。会員のみなさん、作品作り本当にご苦労様でした。
少し前の話になりますが今年の1月に、恒例の全国大学ラグビーフットボール選手権大会がありました。帝京大学が決勝戦での大接戦の末、1点差で勝利し9連覇を成し遂げました。その帝京大学のラグビー部の主将、堀越康介くんは我が母校平井小学校の卒業生です。
先日彼の小学校6年生の時に書いた作文を読む機会がありました。修学旅行の思い出を主に書いているものです。一部分紹介します。(原文まま)
「修学旅行はとても大変でした。まず調べ学習が大変でした・・・・中略・・・先生が、行くお寺などをよく分かっていないと行っても行かなくても同じと言われたのでたくさん調べました。みんな自分と同じ思いをしていたのに、大変と言う言葉がずっしり心に落ちました。
そして当日、これまで頑張ってきた、大変だった日を役立たせる時がきました・・・中略・・・こうゆうことをするまでに、時間がかかって大変だったけど、すがすがしい気持ちになりました。
最初の頃は、大変だな、大変だなと思っていたけれど、めんどうくさいなと思う気持ちにならないのはすごいと思いました。心のどこかで”楽しい”という言葉があったのかもしれないと思いました。自分は、大変はいいことだと思います。そして、大変は、努力だと思いました。そして努力は、人と人が協力できるものだと思いました」と書いています。
ちなみに堀越くんは、将来の夢として「ラグビー選手・芸能人」と記していました。
冬季オリンピック、パラリンピックもリアルタイムで味わうことができ日本選手の活躍に何度も感動に浸りました。レース以外で気にとまったのが、メダリストに対するインタビューの答えの中に周囲に対する感謝の言葉が今回非常に多いと感じたことです。大事なことだとは思いますがオリンピック終了時に伊調問題が表面化し人間の心のあり方は難しいものだと思いました。
又、オリンピック効果と言ってよいのでしょうか、北朝鮮の外交政策が一変しました。いずれにしてもトップ同士の会談で山積みの問題を平和的に解決してくれることを単純に切望します。
藤岡市民展が終了しました。今回は当塾からは無鑑査の紫玉さんと一般公募の三葉さんと、雙葉が出品しました、三葉さんが優秀賞に選ばれました。励みとして更なる精進を期待します。
今年は藤岡市書道協会の40周年にあたります。記念展が6月1日~3日までららん藤岡の花の交流館で開催されます。60点あまりが展示されます。当塾から紫玉さん、三葉さん、雙葉の3名が出品します。
墨盒書道展の作品も表具まですべて完了しました。8日の写真撮りを待つのみです。会員のみなさん、作品作り本当にご苦労様でした。
少し前の話になりますが今年の1月に、恒例の全国大学ラグビーフットボール選手権大会がありました。帝京大学が決勝戦での大接戦の末、1点差で勝利し9連覇を成し遂げました。その帝京大学のラグビー部の主将、堀越康介くんは我が母校平井小学校の卒業生です。
先日彼の小学校6年生の時に書いた作文を読む機会がありました。修学旅行の思い出を主に書いているものです。一部分紹介します。(原文まま)
「修学旅行はとても大変でした。まず調べ学習が大変でした・・・・中略・・・先生が、行くお寺などをよく分かっていないと行っても行かなくても同じと言われたのでたくさん調べました。みんな自分と同じ思いをしていたのに、大変と言う言葉がずっしり心に落ちました。
そして当日、これまで頑張ってきた、大変だった日を役立たせる時がきました・・・中略・・・こうゆうことをするまでに、時間がかかって大変だったけど、すがすがしい気持ちになりました。
最初の頃は、大変だな、大変だなと思っていたけれど、めんどうくさいなと思う気持ちにならないのはすごいと思いました。心のどこかで”楽しい”という言葉があったのかもしれないと思いました。自分は、大変はいいことだと思います。そして、大変は、努力だと思いました。そして努力は、人と人が協力できるものだと思いました」と書いています。
ちなみに堀越くんは、将来の夢として「ラグビー選手・芸能人」と記していました。
2018年2月4日日曜日
雅書道塾通信 第121号・・・枯れ葉舞う廃線果つるやダム現場(H30.1.1)
皆さんあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
平成もすでに30年、来年5月からは新しい元号になります。どんな名称がつけられるのでしょうか。
今年は戌年、十二支の11番目です。戌(ジュツ、けずる、いぬ)の字はまさかりの刃部を主とする象形文字(白川説)です。動物では犬があてられています。干支で言えば戊戌(ボジュツ、つちのえいぬ)です。人間とは付き合いの深い動物ですので犬のつく用語、故事ことわざは沢山あります。十二支辞典からいくつか拾ってみます。
[犬食い]=テーブルの上に食器を置いたまま顔を近づけて犬のように食べる事。
[犬にも食わせず棚にも置かず]=気前よく犬に与えたりもせず、棚に大切にしまっておくわけでもない。けちな人のやり方をたとえて言う。
[犬の遠吠え]=臆病者が陰で虚勢を張ったり、他人を攻撃することのたとえ。
[犬、骨折って鷹の餌食になる]=鷹狩で、犬が骨折って追い出した獲物を鷹にとられてしまうことから、苦労して手に入れたものを他人に取られてしまうこと。(娑婆にはよくあることと言われている)。
[犬も歩けば棒に当たる]=人間で歩いているうちに思いがけない幸運にぶつかることもあるという意味に使われているが、本来は、犬もうろうろ歩くから棒で打たれるようなことにも遭う、余計なことをするととんだ災難に遭うという意味。
最後に[一犬形に吠ゆれば百犬声に吠ゆ]=一匹の犬がものの形をみて吠え出すと、百匹の犬が一斉に吠え出すことから、一人がいい加減なことを言い出すと、それが本当の事として世間の人々が伝え広めてしまう。
書の専門誌「墨」の新春対談に「日本の書道文化をユネスコ無形文化遺産に!」の活動の中心になって進めている書家の井茂圭洞・高木聖雨二氏の対談が掲載されていました。
お二人とも現在日本を代表するような先生ですが対談の中で興味ある発言をしてしました。
井茂 「書にかかわるものがこんなことを言ってよいのか迷いますが、書を楽しいと感じてやってきたことはありませんね。書くことを楽しむというより、どのように書けたのかの方が気になるので、書くこと自体は難しいものです」
高木 「僕も井茂先生と同じで、作品を書くときは苦しみから始まると思います。どう書こうかと苦しみを感じながら制作し、仕上がったという意識はないものの、なんとか書き終えて最後に印を押すときは至福の時間だと思っているんです。これでもう手放すんだと。ただ、大東文化大の書道学科で指導していますが生徒の多くは制作は苦しいと思っているでしょう。でも中には嬉々として書く子もいます。書の楽しさと言うのは個人の考えで違うものでしょうが僕にはできないことです」
お二人とも書のプロフェッショナルですから楽しむよりも生み出す苦しみが勝るのでしょうが、趣味として書にかかわるものであってもそれなりに苦しみはあります。けれども楽しみを見つける心構えも必要に思います。
教える側としては楽しんで書に親しんでもらえることが一番うれしいことです。それには何が足りないか、時々反省しているところです。
平成もすでに30年、来年5月からは新しい元号になります。どんな名称がつけられるのでしょうか。
今年は戌年、十二支の11番目です。戌(ジュツ、けずる、いぬ)の字はまさかりの刃部を主とする象形文字(白川説)です。動物では犬があてられています。干支で言えば戊戌(ボジュツ、つちのえいぬ)です。人間とは付き合いの深い動物ですので犬のつく用語、故事ことわざは沢山あります。十二支辞典からいくつか拾ってみます。
[犬食い]=テーブルの上に食器を置いたまま顔を近づけて犬のように食べる事。
[犬にも食わせず棚にも置かず]=気前よく犬に与えたりもせず、棚に大切にしまっておくわけでもない。けちな人のやり方をたとえて言う。
[犬の遠吠え]=臆病者が陰で虚勢を張ったり、他人を攻撃することのたとえ。
[犬、骨折って鷹の餌食になる]=鷹狩で、犬が骨折って追い出した獲物を鷹にとられてしまうことから、苦労して手に入れたものを他人に取られてしまうこと。(娑婆にはよくあることと言われている)。
[犬も歩けば棒に当たる]=人間で歩いているうちに思いがけない幸運にぶつかることもあるという意味に使われているが、本来は、犬もうろうろ歩くから棒で打たれるようなことにも遭う、余計なことをするととんだ災難に遭うという意味。
最後に[一犬形に吠ゆれば百犬声に吠ゆ]=一匹の犬がものの形をみて吠え出すと、百匹の犬が一斉に吠え出すことから、一人がいい加減なことを言い出すと、それが本当の事として世間の人々が伝え広めてしまう。
書の専門誌「墨」の新春対談に「日本の書道文化をユネスコ無形文化遺産に!」の活動の中心になって進めている書家の井茂圭洞・高木聖雨二氏の対談が掲載されていました。
お二人とも現在日本を代表するような先生ですが対談の中で興味ある発言をしてしました。
井茂 「書にかかわるものがこんなことを言ってよいのか迷いますが、書を楽しいと感じてやってきたことはありませんね。書くことを楽しむというより、どのように書けたのかの方が気になるので、書くこと自体は難しいものです」
高木 「僕も井茂先生と同じで、作品を書くときは苦しみから始まると思います。どう書こうかと苦しみを感じながら制作し、仕上がったという意識はないものの、なんとか書き終えて最後に印を押すときは至福の時間だと思っているんです。これでもう手放すんだと。ただ、大東文化大の書道学科で指導していますが生徒の多くは制作は苦しいと思っているでしょう。でも中には嬉々として書く子もいます。書の楽しさと言うのは個人の考えで違うものでしょうが僕にはできないことです」
お二人とも書のプロフェッショナルですから楽しむよりも生み出す苦しみが勝るのでしょうが、趣味として書にかかわるものであってもそれなりに苦しみはあります。けれども楽しみを見つける心構えも必要に思います。
教える側としては楽しんで書に親しんでもらえることが一番うれしいことです。それには何が足りないか、時々反省しているところです。
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