2017年10月15日日曜日

雅塾通信 第118号・・・台風の予報を耳に床に入る(H29.10.1)

 藤岡市書道協会の研修旅行に参加しました。13年前当塾で訪れた大門碑林も見学しました。日曜日にも関わらず見学者は私たちだけという静けさでした。園内には雑草が目につき、碑も表面に貼られたアクリル板との境に埃が入り碑面も白くくすんで文字が確認できないところもありました。私としては4度目の訪問でしたが寂れた感じが残念でした。
 楽しみにしていたのが硯の「雨端硯本舗雨宮弥兵衛」工場見学です。
雨畑硯は今から327年前1690年(元禄三年=五代将軍徳川綱吉)に雨宮孫右衛門が作成したのが始まりとされており、現代は第十三代雨宮弥太郎が当主として引き継いでいました。当主はまだ56歳、芸大、院を卒業しており職人でありながら骨太の学者と言う風貌でした。
 実際に作硯の工程を説明しながら胸に当てた大きな独特の鑿で石を彫って見せてくれました。墨色と硯の関係や硯石の特徴などが微妙な表現で解説をしてくれ見学者の素朴な質問にも丁寧に答えてくれて好感が持てました。作業をしながら次々と興味の湧きそうな話をしてくれましたが時間が少なく話を途中で切ってしまったのが悔やまれました。
 雨畑硯・雨端硯いずれも「はまはたけん」として呼ばれていますが雨畑は地名からとった名称、雨端は「雨宮弥兵衛家」で作成された硯を呼ぶそうです。色調は三種ほどで「蒼黒」「淡青」「紫色」とあります。硯については通信の17号から29号までに小文で載せましたが、日本の硯については紹介してありませんでしたので産地をいくつか挙げておきます。主に11か所あるそうです。四つ紹介します。
★赤間石=山口県厚狭郡の赤間関の産、石は粘板岩とも擬灰岩ともいわれている。色調は
 三種ほど、赤紫、青緑、それの混合、これも江戸時代以前より発掘されていたらしい
 。紫金石とも呼ばれている。
★若田石=長崎県下県郡の若田川より産出したもの、石は千枚粘板岩であり色調は淡青黒
 色、かの紫式部が源氏物語を書写するのに用いたといわれているが定かではない。
 江戸初期以前より産出していた記録があり日本の硯石としては最良と言われている。
★玄昌石=宮城県桃生郡雄勝町の海岸より産出した。石は粘板岩で、色調は青黒を呈し
 ている。やはり江戸時代から採石されていて産出量も豊富なため硯以外にも用途がある
 。東日本大震災により甚大な被害を被っている。
★竜渓石=長野県上伊那郡の天竜川上流付近より産出。石は粘板岩で天然不定形のゴロ
 ゴロしたものが多い。色調は青黒でなかには銀砂を含んでいる。名称も伊那石・横田石
 などと六つほどある。発見されたのは江戸末期であるが世に出されたのは昭和の初めこ
 ろで天然形を活かしたものが多い。

2017年10月9日月曜日

雅塾通信 第117号・・・盆迎え 次の孫にも 丈超さる(H29.9.1)

 過ごしやすいと言っては変ですが例年に比べてじりじりとした暑さのない8月でした。もう朝夕は季節の変わり目を感じます。
 戦後72年、今夏、テレビの戦争に対する報道がとりわけ生々しかったように思います。それは米国など国外からの映像や高齢化した戦争体験者の証言によるものでしょう。これを歴史上の出来事として眺めるのではなく現代社会と照らし合わせて考えることが必要です。
 戦争の影は知らぬ間に近くに寄ってくるものです。そして理屈をつければ戦争は正しくなってしまうものです。

 さて書を習う人にとって漢字と書の歴史を学ぶ事は大切なものと常々思っていますがそんな思いにぴったりの展覧会が”漢字三千年の歴史展”でした。
 資料としての数は決して多くはありませんでしたが、甲骨文・金文・帛書・竹簡木簡などの本物を目にすることができ漢字の変遷が分かりやすく展示されていました。見ていく中で新しい発見もありました。
 甲骨文の文字は、占いが終わった後に記入したものであるということ、青銅器にある金文は彫ったものか、鋳造したものか、の疑問は今回ではっきりとしました。当時は青銅器より硬い刃物はなく、青銅器の内側の狭いところに文字を刻むことなどは不可能との説明でした。書物などで金文を紹介する文章に「金文は青銅器の内側に刻されている文字」などと解説されているものが多いため、刻した=彫った、と理解してしまいやすいようです。
 青銅器の文字は凹型がほとんどですが今回は凸型文字の青銅器がひとつありました。珍しいもので特別に依頼をして借りてきたのだそうです。凹型が多いのは文字の摩滅を防ぐためとか・・・。
 紙が発明される以前に使われていた絹に書かれた文字がありました。竹や木片書くのからみればだいぶ便利です。それは帛書と言いますが紀元前、漢の時代からすでに養蚕はあったということです。帛書は千年ぐらい保存できるといわれてますがこの帛書は二千五百年前のもの、真空パックされていますが空気に触れると粉々になってしまうそうです。
 珍しい墓誌名がありました。遣唐使として中国で客死した、「井 真成」の墓誌名です。病に侵され36歳で没したとあります。遣唐使を大事に扱っていた証明になります。碑文の中に日本という字が載っていました。当時は倭の国とか扶桑とか呼ばれるのが一般的だったらしい。
 ところで過去の中国では漢字は実際に一部の特権的階級の人たちだけのものでした。それが人民共和国になって一般人いわゆる労働者・農民など圧倒的多数の人たちに漢字文化を広げるための政策として簡体文字を作り正規な文字として取り入れました。学校教育の場で教え、公式文書、新聞雑誌、書物の印刷などに広く使って定着させてきました。更には表意文字である漢字を世界共通の表音文字に改めようとして「漢語拼音法」を文字改革の第一歩としたようですがこれはあくまで漢字に対する補助的な道具としての役割を持つことにとどまりました。ちなみにこの拼音は中国語を学ぶ時の発音記号として使われています。この簡体字は展示してありませんでした。


雅塾通信 第116号・・・久方の自転車軽し夏の風(H29.8.1)

 夏休みに入り小学校前の我が家は、静かすぎてさみしいくらい、特に朝夕は登下校生徒が見えなくてなんとなく時間の経過にメリハリがつきません。
 終戦から今年で72年目の夏を迎えました。マスメディアは例年のことながら平和に関する記事をたくさん取り上げてくれるでしょう。今年は特に・・。「秘密保護法」「安保法」「共謀罪法」の一連の法案も成立し、いよいよ憲法が政治日程に上がってきました。
未来を託す子供たちに残せるものは何か、一歩も二歩も踏み込んだ思考力が今の時代には求められています。

 7月は三つの書展を見ました。
 いずれも知人が絡んでいる書展ですが、最初に鑑賞したのは「白玄会」。故山本一聿先生が築いた会で墨像を主体としています。二年に一度の開催ですがレベルの高い臨書作品がたくさん出品されていました。その他、かな・近代詩文・漢字作品などバラエティに富んでいて見ごたえがありました。その中で墨像は三分の一くらいの数でした。
 続いては伊勢崎市の「書道協会展」、これも二年に一度の開催ですが、167名の出品でした。墨盒展の仲間である中島先生、若林さん、羽尾さん、荻原さんなどの作品もありました。
 三つめは高崎書道会の「第30回記念国際交流書展」、于右任書法で知られ、中国・台湾との交流を盛んに行っている会で、私も毎回鑑賞させてもらってます。
中国・台湾から60名、会員196名という大勢の作品が高崎シティギャラリーの第一、第二会場、それに予備室を埋め尽くしていました。
 展覧会を見にいくのは刺激を受けることが大きな目的ですが、と同時にいろいろな人に会い会話をすることも楽しみの一つです。漢字一つ書くのでも様々な表現があり、人と同じく十人十色、ただ質の高さだけは求め続けるものだと痛感しています。
 書の世界に「九生法」という言葉があります。若干抽象的ではありますが、字を書く際にその書字を生命的なものにするための条件です。その中の五つを上げてみます。
「生硯」硯は使い終わったら洗滌して乾かす。
「生水」硯に長いこと汲み置いた水を使ってはいけない。新しい水が良い。
「生墨」必要に応じて磨墨する。
「生神」気持ちを集中して気を鎮め、心をいらだたせて騒がせてはならない。
「生景」空が晴れ渡り空気も澄んでいれば、人の心ものびのびと楽しい、このような時は筆を執るのに適切である。

雅塾通信 第115号・・・父の日や久しく孫と長電話

藤岡市文化協会創立40周年記念研修旅行に参加しました。バス1台による東京見物日帰りコースです。見学場所を簡単に紹介します。
国立としては日本で最初の東京国立近代美術館は書の収蔵品はありませんでしたが藤田元嗣画伯のサイパン島玉砕の油絵は縦2メートル以上横5メートル以上あるかと思われる大作でした。その生々しさに暫く動けませんでした。脳裏から消えない一枚です。
お台場にあるグランドニッコウー東京台場の日本料理店“大志満”は入り口に、今 東光筆による「大志満」の作品が展示してありました。骨太のゆったりとした感じの良い作品でした。ちなみに全ての部屋にそれぞれの雰囲気に応じた書が展示してあるようでした。
メニューは:お小昼重と命名してあり、米・食材は良好でしたが味が極端に薄く、醤油を所望していた人もいました。加賀料理とありましたが石川県は薄味なのでしょうか。
最後に旧古河庭園を散策しました。明治の元勲:陸奥宗光の邸宅だったそうですがその後宗光の次男が古河家の養子になった時、古河家のものとなったそうです。石造りの邸宅は重厚で独特、見応えがありました。

ちなみに都立文化財庭園は9つある(浜離宮恩寵庭園・旧芝離宮恩寵公園・小石川後楽園・六義園・旧岩崎邸庭園・向島百花園・清澄庭園・旧古河庭園・殿ヶ谷戸庭園)そうです。小生はまだ4ヶ所きり見ていませんが、東京という密度の濃い大都市のなかで、自然に恵まれた貴重な空間として保存したい場所です。