10月下旬から晴れの日が続き朝夕は冷気を感じるようになりましたが、抜けるような青空に見とれてしまいます。秋まっただなか、澄んだ空気がおいしく感じられます。
さて、前号の続きです。行書の学習には必須古典と言われる「集字聖教之序」、当塾でも現在5名の方が学んでいます。集字とは文字通り文字を集めると言うことで、この序(碑)は王羲之の字を集めて作られたものです。「集字聖教之序」は別名「集王聖教之序」「集王書聖教序」「懐仁集王聖教序」「七仏聖教序」とも呼ばれています。碑の高さは350センチ、幅113センチ、行書で30行、行ごとの字数は85~86字、全文で1904字あります。唐の高宗時代、672年に当時の都長安(今の西安市)の弘福寺に建てられました。現在は西安碑林に保存されています。
この碑の1行目に「大唐三蔵聖教序」とあるのがこの文章の題名です。「聖教」とは[西遊記]でお馴染みの三蔵法師玄奘(602~664)がインドから持ち帰って漢訳した仏典のこと。「聖教之序」とはその冒頭に置かれた序文のことです。碑の2行目「太宗文皇帝製」がこの文章の作者を示します。唐の第二代皇帝李世民(太宗)のことです。そして3行目、「弘福寺ノ沙門懐仁、晋ノ右将軍王羲之ノ書ヲ集ム(弘福寺の僧侶懐仁が王羲之の書蹟の文字を集めた)とあります。
すなわち、唐の三蔵法師がもたらし翻訳した仏典にたいして、太宗が序文を書き弘福寺の僧懐仁が王羲之の書蹟の文字を集めてこの碑を作ったと言うことになります。
全文を五つの章に分けることができます。
①
冒頭の「蓋聞二儀有像」から「与乾坤而永大」までの781字が太宗皇帝による序文です。
②
つづく「朕才謝珪璋」から「空労致謝」までの63字は玄奘三蔵が序文を頂いて謝意を述べた時の太宗の言葉です。
③
このとき皇太子であった高宗もあわせて記を作ってくれたのですがそれが次の「在春宮述三蔵聖記」で「夫顕揚正教」から「以為斯記」までの579字。
④
高宗に対する玄奘の謝意に答書した文が「治素無才学」から「深以為愧」までの50字。
⑤
最後に、玄奘が新たに漢訳した「般若波羅密多心経」と立碑に携わった人々、建碑の年月日など431字があります。
ではこれらの文字は王羲之のどのような原蹟から集めたのでしょうか。最も採られている字が多いのは「蘭亭序」です。58字(48字という説もあり)使われているようです。そのほかでは喪乱帖などの手紙文や集帖など沢山の資料が使われていると想像できます。集字を始めてから建立されるまで実に25年の歳月を要しています。種々の墨蹟の字は大小様々ですし拡大したり縮小したり、ない文字も当然出てきますから、作字をしなければなりません。扁と旁を組み合わせるなどして作り上げています。文字のくずし方なども前後左右とのバランスを考えなければなりません。写真、複写など印刷技術のない時代に相当な労力と時間が必要だったことは想像できます。
一つの古典を臨書する時、その碑の由来など調べるとより深く学べることができるでしょう。
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