2019年1月6日日曜日

雅書道塾通信 第131号・・・裸木の すべて落した いさぎよさ(H30.12.1)


“歳月は人を待たず”また12月を迎えました。
ことしは塾関係でも展覧会の多い年でした。3月には藤岡市民展、6月は藤岡市書道協会40周年記念展・墨盒書道展、10月には藤岡市文化協会芸術祭と3ヶ月に一回のペースでした。また春、秋と二度の昇格試験がありました。お忙しい中それぞれに出品、受験された生徒の皆さんお疲れ様でした。


会員の武井さんから第一報を頂きましたが、来年の116日(水)から224日(日)まで東京国立博物館平成館にて「(がん)(しん)(けい)」展が開催されます。
顔真卿(709景龍3年~785貞元1年、77歳没)は初唐の三大家、欧陽詢(おうようじゅん)()(せい)(なん)褚遂(ちょすい)(りょう)から遅れること約半世紀中唐時代に活躍した官僚・政治家・軍人・詩人そして書を能くした人です。
顔真卿はそれまでの王羲之を祖として発展してきた書に新たな流れを作った元祖とも言うべき人です。
後の時代の書にも大きく影響を与えたと言う意味で顔真卿の書は革新的であったと言えるし第二の王羲之と評価される所以でもあります。
なぜそこまで評価されるのか、今回の特別展では顔真卿が生きた時代、置かれた立場、生き様などを知ることができ、強烈で個性的な書がなぜ生まれたか背景を知ることができると思います。
今回の特別展の目玉になっているのが台北故宮博物院藏の「祭姪文稿(さいてつぶんこう)の直筆です。
顔真卿は玄宗皇帝に仕え、安禄山の変などで衰えゆく大唐帝国を支えた忠臣ですが、義に殉じた烈士としても讃えられています。その戦いのなかで亡くなった甥の「季明」に対する祭文(この際は弔辞)の原稿が祭姪文稿です。碑などに書かれた正式な書と違って弔辞の下書きとして書かれたものでその時の心情が表れており、また訂正した箇所なども生々しく正に構えずに書いた書として現在に至るまで行書の名品として書道史に名を残しています。
故宮博物院から出て、初めて海外で展示するのだそうです。顔真卿はその生涯を振り返ると簡単に筆先だけで真似をすることはできない厳しさを感じます。ましてや「祭姪文稿」は弔辞、その本質を誤りなくくみ取って学ぶことが大切です。

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