中国の書の歴史・・・その32
元代を代表する書法家のもう一人は鮮于樞(せんうすう、1257~1302)です。漁陽(現在の河北省薊=けい県)の出身で、永らく銭塘(現在の浙江省杭州市)に居住し高級役人として務めました。
字は(あざな)は伯機、号は困学眠、直案老人、虎林隠史などと称しました。
詞賦をよくし、書法名画古器物の収蔵に富み、また鑑定もよくしましたが、書画に長じて高名になり当時の第一人者趙孟頫より三歳年下で北方の人らしく豪放素朴、書風も晋唐の伝統を守りながらも独自の世界を切り開いています。これは南方の貴族出身の趙孟頫には見られない部分であります。
晩年は浙江省都事を最後に西湖のほとりの虎林に室を移し、困学齋と称して門を閉じ俗客を謝絶して読書に励み、琴を弾じ書を楽しんで晩年を過ごしたと言われています。
下の作品を前号趙孟頫の作品と比較してみるとわかりやすいでしょう。
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