2019年2月11日月曜日

雅書道塾通信 第133号・・・どんど焼き 上毛カルタの花が咲き(H31.2.1)


毎日毎日同じ事を繰り返して行なうことを習慣と言います。なにを当たり前のことをと思いますが結構大事なことです。
我が家の習慣其の1は、朝夕の雨戸の開け閉てです。夕方、家のまわりじゅうの雨戸を閉めて玄関の鍵を“カチャ”と閉めると、一日終わったな、となにか区切りのついた安堵感を覚えます。
朝起きて、暗い部屋から(明るい部屋では駄目です)1枚目の雨戸をさっと開けると光と外気がぱっと体を覆い、すーっと頭が軽くなって目が覚めます。体調の目安にもなります。
顔を洗うのも子供の時からの習慣です。この歳になるまで多分洗わなかった日はないのではないかと思うくらいです。歯を磨くのも食事の仕方もみんな習慣です。ほかにも枕元には翌日着る洋服をたたんでおくこと、履き物は脱いだら揃えておくことなど今考えるとよくうちの親はいろいろと躾けたものだと今更ながら感心しています。習慣が人を作り上げることを知っていたのかもしれません。
話は飛びますが今コレステロール値が高くて医者に薬を勧められています。これは明らかに生活習慣の乱れだと思っているところです。
* 毎年思うことですが1月はことのほか長く感じます。正月の三が日、子・孫たちが来て賑やかに過したことがもう遠くの出来事のように感じます。1月は観たい展覧会の多い月です。今年も顔真卿展を含め6ヶ所回りました。日常の生活にプラスしてこれらの行事が入ってくるのは毎年1月だけです。
先日個展をしている木附さんところへ立ち寄りました。「始まった頃のことがもう遠い事のように思える、日の経つのが遅く感じる」と仰っていました。
先日、NHKの人気番組“チコちゃんに叱られる”で「歳をとると日の経つのが早く感じられるのはなぁ~んでか?」と質問していました。答えは「歳をとると感動が少なくなるからだぁ~!」でした。
諸説あるかもしれませんが正月の喧噪も、展で観た名品も、木附さんが大勢の人と交流するのも何らかの感動が生じていたのかもしれません。
ただ、テレビでは感動を受ける年齢のピークは19歳と言っていましたからその後は本人の心掛け次第と言うことでしょうか。
*「顔真卿展」を観てきました。
平日ではありましたがお目当ての「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」と懐素(かいそ)の「自叙帖(じじょちょう)作品の前は混雑してました。二つとも印刷物ではお馴染みの古典ですが直筆作品を観ると書かれた時代や環境、書いた人なりも自然と想像してしまい新たな感慨に浸れます。立ち止まってじっくり観察したかったのですが残念ながらかないませんでした。
“王羲之を超えた名筆”という副題の顔真卿展ですが顔真卿も当然ながら王羲之の流れをくんだ初等の三大家の書を学んでいることは想像できます。ですから顔真卿は王羲之書法の流れに強烈な個性、新風を吹き込み後の書道界に大きな影響を与えた書と評価したいものです。
書道博物館発行の「週刊瓦版」122日号には王羲之も没後140年ほどは、七男の王献之の書の方が高い評価を得ていたと書かれており、顔真卿も没後250年ほどは正当な評価を得られていなかったと述べられています。そして王羲之、顔真卿を二人の書聖と表現しています。人物評価は難しいです。