2018年2月4日日曜日

雅書道塾通信 第121号・・・枯れ葉舞う廃線果つるやダム現場(H30.1.1)

 皆さんあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
平成もすでに30年、来年5月からは新しい元号になります。どんな名称がつけられるのでしょうか。
今年は戌年、十二支の11番目です。戌(ジュツ、けずる、いぬ)の字はまさかりの刃部を主とする象形文字(白川説)です。動物では犬があてられています。干支で言えば戊戌(ボジュツ、つちのえいぬ)です。人間とは付き合いの深い動物ですので犬のつく用語、故事ことわざは沢山あります。十二支辞典からいくつか拾ってみます。
[犬食い]=テーブルの上に食器を置いたまま顔を近づけて犬のように食べる事。
[犬にも食わせず棚にも置かず]=気前よく犬に与えたりもせず、棚に大切にしまっておくわけでもない。けちな人のやり方をたとえて言う。
[犬の遠吠え]=臆病者が陰で虚勢を張ったり、他人を攻撃することのたとえ。
[犬、骨折って鷹の餌食になる]=鷹狩で、犬が骨折って追い出した獲物を鷹にとられてしまうことから、苦労して手に入れたものを他人に取られてしまうこと。(娑婆にはよくあることと言われている)。
[犬も歩けば棒に当たる]=人間で歩いているうちに思いがけない幸運にぶつかることもあるという意味に使われているが、本来は、犬もうろうろ歩くから棒で打たれるようなことにも遭う、余計なことをするととんだ災難に遭うという意味。
最後に[一犬形に吠ゆれば百犬声に吠ゆ]=一匹の犬がものの形をみて吠え出すと、百匹の犬が一斉に吠え出すことから、一人がいい加減なことを言い出すと、それが本当の事として世間の人々が伝え広めてしまう。

 書の専門誌「墨」の新春対談に「日本の書道文化をユネスコ無形文化遺産に!」の活動の中心になって進めている書家の井茂圭洞・高木聖雨二氏の対談が掲載されていました。
お二人とも現在日本を代表するような先生ですが対談の中で興味ある発言をしてしました。
井茂 「書にかかわるものがこんなことを言ってよいのか迷いますが、書を楽しいと感じてやってきたことはありませんね。書くことを楽しむというより、どのように書けたのかの方が気になるので、書くこと自体は難しいものです」
高木 「僕も井茂先生と同じで、作品を書くときは苦しみから始まると思います。どう書こうかと苦しみを感じながら制作し、仕上がったという意識はないものの、なんとか書き終えて最後に印を押すときは至福の時間だと思っているんです。これでもう手放すんだと。ただ、大東文化大の書道学科で指導していますが生徒の多くは制作は苦しいと思っているでしょう。でも中には嬉々として書く子もいます。書の楽しさと言うのは個人の考えで違うものでしょうが僕にはできないことです」
 お二人とも書のプロフェッショナルですから楽しむよりも生み出す苦しみが勝るのでしょうが、趣味として書にかかわるものであってもそれなりに苦しみはあります。けれども楽しみを見つける心構えも必要に思います。
 教える側としては楽しんで書に親しんでもらえることが一番うれしいことです。それには何が足りないか、時々反省しているところです。