通信も100号になりました。平成17年の12月3日の忘年会の席で”一年を振り返って”と題して発行したのが第1号でした。それから三年間は、一年の行事の記録として12月に1回発行していましたがある時会員の方から墨の質問を受けました。
常々書を学ぶということは書くこと以外にもそれを取り巻く種々の事柄を知ることが大切だと思っていましたし、また自分が学ぶことになるとも思い書に関係する事を書いて月に一度会員の皆さんに配布しようと決めました。
勉強ばかりの内容では退屈と思い季節の移り変わりや、時に感じたことを思いつくままに、そして記録しておくべき塾の行事なども書き入れました。
今までに、墨、筆、硯、漢字の話(歴史)、中国の書の歴史(継続中)などを随時載せてきましたがなんとしても勉強不足、いまだに表面を撫でた程度です。手詰まりは自己責任で仕方ありませんが間違ったことを書かないように気を付けました。
なにしろ書・漢字の歴史は3500年以上も前にさかのぼるものです。付け焼刃で語れるものではないことは痛感しています。
それでも書を学ぶ上で大事なことだと思ったのは、漢字の話=書の流れです。いま自分が習っている字がいつの時代のものでどんな経緯をたどって出来上がってきたのかを知ると古典を見る目も変わってきます。なんでこうなっているのだろう・・・が少しでもわかるとうれしいものです。
筆・墨・硯・紙のことを文房四宝と言います。文房とは古き時代には書斎のことを言いました。文房具の中でも前四種は特に尊重して宝物として扱ったのです。
文房至宝に囲まれた書斎を書をたしなむ人たちと語り合えばこれは至上の悦びでしょう。一献あればなおさらです。いつかそんな時間もほしいものです。
ところで冒頭に載せている俳句ですが、最初は目についた先人の句を借用したりしていました。しかしだんだんに自分で「作ってみようー」という気になりました。自己流・独学で始めましたが結構苦戦をしています。語彙の貧しさ感性の乏しさを思い知らされています。月一句、形になっているかどうかもわからずに駄作を作り続けています。
中国の書の歴史・・・その30
通信83号から唐代に入り、11人の書を善くした人を紹介してきましたが、唐朝300年の最後を飾る人として柳公権(りゅうこうけん=778~865)をしょうかいします。
字(あざな)は誠懸(せいけん)、柳少師ともよばれました。顔真卿に遅れること69年、顔の没年には八歳でした。顔真卿に直接指導を受けたことはありませんがその書は顔法を学び、さらに力強い独自の筆法をあみ出したといわれています。
中央政府で皇帝の側近にいた彼は唐末の腐敗しきった暗君たちを真正面から諭したといわれ、こんな逸話も残っています。公権の筆跡に興味をもった皇帝穆宗が公権に用筆法を尋ねたとき「心正しければ則ち筆正とし、筆正しきは乃ち法とすべきなり」と答え、用筆の秘訣にかこつけて政治の心得をそれとなく諭したのですが皇帝が気づいたかどうかは別として、この言葉が後世、書の心得を説く名句となっています。古くから書の風格というものは、その人の個性やひととなりと不可分のものではない、と語られていますが公権の生き方と書風は後の批評家にこの格言の例として取り上げられるほどの人物だったようです。